試奏と点ブロと気心
先日「ヤマハ浜松点」に出向いて参りました。レッスンの生徒さんが新たなオカリナが欲しくなってきていたため、試奏・購入のお手伝いに行ってきました。試奏できるとは言っても何をどうしてゆけば選べるのか不安という方のために、そんなこともしております。
今回はそのお話と、帰り道に点ブロについて感じた話題です。テーマは人の「気心」です。
ヤマハ浜松店の様子
かじまちにありますヤマハ浜松店は、2月3日から12日にかけて「オカリナフェア」を開催しております。
普段はないオカリナも含め、多数のオカリナが店頭に並んでいますので、試奏や購入を考えておられる方にとっては良い機会になると思います。
約30本からの選定
たったひとりの購入者のためにでも、必ず購入するならばこれくらいのことはしてくださるヤマハさんの「気心」に感謝です。
2種類のオカリナを選ぶために、約30本近いオカリナたちを試奏室に運び、比較検討させていただきました。
オカリナ選びは、吹き手にとってその先の歩みを大きく変えることになる大切な瞬間です。だからえんじろうは普段のレッスン同様に意味ある比較をしてもらうための手段を伝えながら見守ります。
しかし「こっちの方があなたに合いますよ」的な発言は絶対にしません!どれだけ聞かれても悩んでいても、それだけはしません!
だから最終的に決めるのは生徒さん自身となり、だからこそ購入されたオカリナの名前も形もしっかり把握し末永く大切にできると思っています。何より自分がそうしてきて、人から進められて購入したものより遥かに大切にしている事実があります。
責任の押しつけ
なんか嫌な言い方をすれば、これは選定責任を誰に押し付けるかということです。
人から勧められたり情報を鵜呑みにして選んだ場合、例え自分が原因でうまく吹けなかったとしても勧めてきた人の責任にできます。そんな卑しい正確な人でなかったとしても、被害者的な立場に収まろうとしてしまうことはあるかと思います。
これは単なる相性の問題で、相性というものは努力次第で埋まることもよくあるのです。容易く諦める理由を排除するためにも、自分で決めたという選定責任を持つと、同じオカリナを選んでも全然違った「気心」で向かい合うことになるんです。そう、これはまだ初対面状態だし、これから心が通ってゆく行程を長く楽しめると。
こうなるとなんだかんだで起こってきた現象も、都合良く受け止めることができます。
こういう「気心」のときは本当にそのイメージ通り、着実に仲は深まってゆきます。実体験としても不思議なものだなあと感じます。えんじろうは生徒さんにもこの感覚を味わってもらいたいために、選定の決定権は絶対に奪いません!(なんか選挙演説みたいになってきた)
試奏で感じるLvアップ
さてそんな生徒さんは、90分近くかけて30本近いオカリナから2本の目的に準ずるオカリナを自力で決めることができました。購入されたときの自信有りげな雰囲気からも、ちゃんと確信あるものを選べているな、素晴らしいなと嬉しくなりました。
今回は吹き心地の面での目標がありました。はっきりした目標とそれを見分けられる力があって初めて可能になることです。
僕は横で出ている音程のチェックや正しい音程を出したり、吹き終わったオカリナをウエットティッシュで拭くなどの補助をするのみです。
確信の2本
確信を持って決めたオカリナを手にされた生徒さんは、とても輝いて見えました。まさにこれを体験してもらいたかったので、本当に嬉しかったです。
前回の試奏お手伝いのときにはまだ目標などもはっきりしていませんでした。初のオカリナには目標の設定が難しいので当然ですが、そこから選ぶ際の吹き方などもツボを付く感じで意味があることをされており、僕は何も指示しなくてもご自分で勧めてゆかれる姿が嬉しく誇らしかったです。
どうか楽器も吹きても幸せになりますように。
点字ブロックと通行
ホクホク温まる心での帰り道、点ブロこと点字ブロックの上を歩いていると、前方から「あぶないよー!」というおばさんの声がしました。
声の主の方向を見ると、乳母車のようなものを押した人が点字ブロックを横切る直前でした。僕が前まで行って止まると「はいごめんねー」と2回言いながら横切ってゆきました。
その人の声は「あぶないよー!」と言った人の声でした。
ひねくれ男の苦悩
事象としてはよくあることです。でも僕の心がひねくれているからなのか、なんか「やな感じ」と思ってしまったのでした。
僕はまっすぐ点ブロを見失わずに歩きたい。
相手はそこを止まることなく自分のペースのまま歩きたい。
解決策として僕の動きを一時的に止めるというのは非常に理にかなっているんですが、なんか「はいごめんねー」ボタンをポンポン押せば全てがOKなのか?とか思ってしまい、口でアクションを起こさせられたことにムッとなってしまったのかも知れません。
じゃあどうしてほしかったのと言われると、僕の存在を見つけた相手に止まってほしかったということかな?それって立場が逆になっただけじゃない?そして相手が同じような気心の人だったら、自分があれこれ思われることになるんじゃない?
僕が前のおばさんの存在を認識でき、自分から止まれれば気分は良かったのかな?つまらないことであれこれ頭を巡らせてしまう性格なんですよね。
ポイントは気心
粘着テープのようにしばらくそれを引きずってしまい、相手もいないのに気分が沈んでしまう。
そんな自分の「気心」に対しても嫌な雲行きを感じてしまったり。そんな心を見透かしたかのように、帰りのバスを降りたときには結構ザーザーな雨が振りました。まるで「これでも浴びて心を洗い流せ」と言われた気分でした。
そうですね。そんな事があったときに、すぐにさらっと水に流せるような人になりたいですね。
人生晴れたり曇ったりな日でした。
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