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お日様からの言葉

なんの役にも立つことができない自分なんて、どうしてこの世に生まれてきたのだろうか?ここに存在し続けて良いのだろうか?

そんなことばかり思っていた時期がありました。そんな思春期の頃に出会ったのが、心に深く染み入ってくる音でした。音色とか旋律とか構成だとか、それが生の音なのか電子音なのか、そんなことはどうでも良かったのです。ただその「音」に吸い込まれるような、包み込まれるような時間だけが続いていれば良いと思っていました。


その音色は羽

僕にとって初めて聞く宗次郎氏が演奏するオカリナの音は、そんな真っ黒になっていた自分の心に舞い降りた輝く羽のようなものでした。輝くと言ってもやたらと眩しすぎるわけじゃなく、淡くて優しく輝きながら、周りを包み込む包容力をもった光。

そこには「君もそこにいていいんだよ」というメッセージを感じました。別に僕に向けて言ってくれたわけではないでしょうが、オカリナに向けてなのか、それとも大自然からの言葉が変換されて伝わったのか。とにかくものすごい安心感を覚える「音」というか波動でした。
僕にとっては人の声よりも言葉よりも、遥かに強力なメッセージでした。

翼を求めて

やがて辛く暗かった時期が過ぎ、高校時代後半になると、バンド活動に加えてもらえるようになり、そこから少しずつ心にゆとりが持てるようになりました。

画像 淡く輝く羽

音楽と理想世界

音楽は言葉のようなその場しのぎの嘘やひねくれた表現を受け付けない。そういう気持ちで演奏すると、ただそういう気持ちを相手に伝えてしまうものだから。それが嬉しかったのです。ここには嘘や偽りもその役目を果たせない。嘘と偽りをそのまま表現してしまうから。

こんな世界があったんだと、嬉しさでいっぱいでした。ドラム叩いているときの姿を見た先生から「本当に楽しそうだね」とよく言われました。本当に楽しいときにそれを指摘されると、本当に嬉しかった。それまで楽しいふりをしていても「みんなそうしてるんだから当然」という雰囲気ばかりで、何かを言ってもらうことなんてなかったから。

音楽の世界って真っ直ぐで素晴らしいなって思えました。

仕事と嘘偽り

甘っちょろいことを言ってるんじゃない。仕事としてやるならば、舐めてかかるなと言うアドバイスをくれた人がいます。
僕が未知の世界に対して舞い上がっているように見えたのかも知れませんね。多分その人は僕を心配して言われたのでしょうが、結構ショックでした。宗教のような世界に生きる覚悟も必要になるかも知れないとも言っていました。その方も家族を支えるために一生懸命仕事としてオカリナと関わっているんだということを知りました。
それらの言葉からは、普段演奏される姿とはまるで違う姿というか、ちょっと辛さのようなものを感じました。

そこでハッとしたのが、嘘偽りない世界だと思っていた音楽の世界に、苦しみを抱えながらも苦しさを見せない表現ができている人がいる現実でした。
それは一部の器用な人だからこそできる技なのか、慣れてしまうと僕もそれができるようになってしまうのか?
僕は強烈に「嘘偽りができる演奏家にはなりたくない」と願っていました。

ゆきたいところ

画像 洞窟に差す光の先に花が咲いている

僕がゆきたいところはどこなのだろうか?あまり遠くに行きたいと思っているわけでもありません。かと言ってもちろん、何もしたくないわけじゃありませんよ。

嘘偽りのない状態で活動できる身の丈をしっかり認知しながら、焦らず着実に「嘘偽りない音楽を」を広げ続けていたいだけなのかも知れません。えんじろうがかかげる「ありのままに、シンプルに」は、今のところそれに嘘偽りない活動をしていると思えています。
これを将来もずっと堂々と言い続けていたいですし、その通りの人間でい続けたいと願っています。

すごい人、偉い人、立派な人なんてどうでもいい。それは他人が勝手に他人の物差しで推し量ってラペリングしているだけのこと。


画像 洞窟の出口と外の風景

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。最後に自分も含めてですが、皆様に向けて書いてみたプジティブな詩を綴って終わりにしたいと思います。この記事の冒頭部分のような気持ちになりかけたときにこそ、読んでもらえたら嬉しいかも。
詩の部分は有料記事にさせていただきますので、応援のつもりでこの続きもご覧いただけたら嬉しいです。BGMも付けちゃいますので、再生しながら続きをどうぞ。

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