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愛の復習と痛み
今日は節分。季節の区切りに、えんじろうはひたすら大豆を食べていました。そんな今朝、なかなか強烈な夢を見ました。今回はそんな夢から得た教訓を、詩にしてみようと思います。
夢のお告げ
復讐なんて考えるものじゃない。
色恋沙汰ならなおのこと。
だってその相手は紛れもなく、
一度は愛した人なのだから。
例え一方的に裏切られたように見えても、
原因において100%はない。
だから復習の相手が苦しむ姿を見ると、
割合分だけ必ず自分も心が軋む。
あなたが愛したほどの相手なら、
手を下さなくとも傷跡は残っているから。
わざわざあなたの貴重な時間を、
そんなことに費やしている場合ではない。
復讐なんて考えるものじゃない。
色恋沙汰ならなおのこと。
だってその相手は紛れもなく、
一度は愛した人なのだから。
内容は内緒
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夢の内容は内緒ですが、昔ちょっとやなやつと思っていた人が酷い目に合うというものでした。
そして酷い目にあっている現場に自分がいて、最初はそれを見て笑ってやろうくらいの気持ちだったはずが、どんどん胸が苦しくなっていくんです。自分は痛くも痒くもないはずだったのに、心がきしみ「もうやめてくれ」と言っていました。
復讐心というものは、相手がどうこうというよりも自分の中から生み出されている感情なのですね。
だから復讐心を生み出した自分にも、痛みは返ってきてしまうし、そもそもその相手に未だに何かを期待しているという証のようなものなのでしょう。本当にどうでも良くなれば、そもそも無関心で復讐心すら出てこないはずなのです。
というわけで皆さん、節分ですし未練やつまらない呪いから我が身を切り離して、はつらつと前を向いて進んでゆきましょうね。