小さな命の努力
さてみなさま。突然ですが「小さい」ってどういう基準なのでしょうか?えんじろうとしては、それはすべてそれを言う人自身を中心にした言い方でしかなく、自分と比べた結果どう感じるのかという相対的な測り方でしかないんだと思うんです。
今回の記事は、虫が登場します。ミノムシを見るのが嫌という方は、中断なさってください。
ミノムシの努力
庭の防草シートの上に、ミノムシがやってきました。建築途上のミノムシ氏は、どうやらこの防草シートの毛羽立った繊維に「こいつ使える」と感じているらしく(想像ですが)、どうも利用しているように見えました。
作業の様子
手足(どれが手だか足だか判らんが)を器用に使い、繊維を掴み体ごと動かしては自分の建築したミノを強化しているようです。
まるで編み物でもするかのように、糸を丁寧にくぐらせ張って強度を確かめて、本当に職人の技という感じがしませんか?
まるで「あっどうも」という感じで、こうなってくるとだんだんこの姿にも慣れて愛着のようなものを感じませんか?
素晴らしき開閉機構
ミノムシの作品には必ずこの仕組みが導入されているのかな?今回始めてその様子を見て、感激しました。
何かに驚いて体をミノに隠す。それは普通に判ります。でもそれだけでなく、更にそのミノの入口をビシッと閉めるんですね。まさか扉の機能が導入されていたなんて、驚きました。
究極の立てこもりストですね!僕も見習いたい(なんでもありません)
初の録画成功
実は今回、これら1連の行動をスマホカメラに収めることに成功しました。ちょっと長い動画ですが、最初は等速で、後半には人間の時間間隔から脱してミノムシ時間の感覚(予想)になるようスローモーションで再生しています。
それではどうぞ。
世界に規模は無関係
こういう姿を大きくして見ていても、やっぱり自分より小さく弱そうなやつに見えませんか?えんじろうはそう見えてしまいます。ところがそこにスローモーションをかけると、その生き物の時間間隔に自分の感覚をようやく合わせられる気がするんです。
こうなるとたちまち、周りの動物たちの仕草や草の動きや空気の動きすらもその虫の世界観にそぐうものに見えてくる。
撮影で規模合わせ
小さな世界を見るなら拡大することに加え、拡大した文再生速度を下げるのが、相手の身になる手段のようです。
考えるとミニチュアで大怪獣の動きやでっかいビルが壊される様子を撮る感覚と同じじゃないのかな?
本当に相手のみになりたければ、それくらいしないと我々には理解できないように感じるのでした。
むちゃくちゃ早く動くように見えるトンボにしてみれば、きっと「お前らがむちゃくちゃ遅いんでしょうが」と言い返されるように思います。
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