ムッツリ資産から
先日、資産の話を出しました。夢はないものから何かを手にするということばかりでなく、既に持っているものをしっかりと認識し、それを共有できる資産に変換することが、夢を叶えるということではないだろうかという話でした。
今回はそんな話の終盤に出てきた「ムッツリ資産」について書いてみます。
見られてました
先日、演奏を聴いてくださってそのまま生徒さんになってくれた方のところにレッスンに行ってまいりました。
レッスンの中で「先生がこないだの演奏の時にやっていたこういう動きにどういう目的があるのか気になって」と言われました。その話題で出てきた動きは具体的に2種類ほどあったのですが、そのうち1種類は全く自分で意識していない動きでした。おそらくほかの動きに関連してそう見えるというものがあったと思うのですが、お客様の視点からどう見えているのかということが具体的に分かったのでとても新鮮な感想でした。
同時に改めて、演奏を聴いていただくということは同時に見られているということなんだなと自覚できます。
その生徒さんは、ただ疑問に感じたことをレッスンで聞けばいいやとせずに、それに対する自分なりの仮説を立て実際に実験を試みておられたことに対しても非常に驚き、素晴らしいなと思いました。
意味のない動き
疑問を受けたことで自分でも気になりだし、その動きはどうして生じてしまったのだろうかということを考えてみます。具体的には、オカリナの角度を上にあげるというような動作だったようですが、正直自分には自覚がありませんでした。
ただ演奏中の自分の感覚を振り返ってみると、演奏しながら少し高い位置を見上げてみたり、演奏に動きをつけてみようなどと思ったときに、顔全体を上方向に向けるということはしているなと感じます。顔が上向きゃ楽器も上にという感じで、それがいかにも楽器を持ち上げたかのように写り、そこに何らかの意図を感じられたのではないかと思います。
これは実際に演奏に関しては意味のない動きと考えていますが、舞台に対しては意味があると思っています。表現の一環でもあり、雰囲気作りにもなり、動きがあると集中を誘います。
それをあたかも計算づくのようにやっていれば、少しいやらしい雰囲気に見えてしまうと思うのですが、自然に出てしまうものに関しては普通に見る分には意識に上らない程度の動きに見えることでしょう。
要らないのか?
意味のない動きというものは、必要ないものなのでしょうか?
先ほどのように多少なりとも効果がある以上心底意味がない動きだったということにはなりませんね。しかし行動の中には、直接結果に繋がらない行動というものも結構あると感じるんですよね。
ムッツリ資産
先日の記事の話題に出た「ムッツリ資産」は、自分以外の人にとっては何の価値ももたない資産であるという意味を込めて作った言葉です。
例えば新曲のイメージが浮かび、それを急いで歌ってメロディラインだけを忘れないように録音したとします。実はメロディラインというのは、道路のどこを歩いたかという足跡に過ぎないと考えています。なのでメロディラインだけでは道路の全体像は把握できないんですよね。道路の全体像に相当するのがコードというもので、それがわかっている状態で初めて「あー、だから君はこう歩いたんだね」と言えるようになるわけです。
ですから本当は録音する時にコードも一緒に記録するべきなのです。別の人がメロディラインだけを聞いてコードを想像しても、かなり雰囲気が違う結果になることもあるんですよ。面白いですよね。
つまりこのメロディラインだけの状態というのが、それが持つ本当の価値が自分だけしか分からない状態、すなわちムッツリ資産なわけです。
様々なムッツリ資産
今のはえんじろうにとっては分かりやすい例だというだけで、もっともっといろいろありますよ。
例えば発表会の場で、一見緊張してそうに見えながら、演奏が始まるとわりと堂々とされている人がいたとします。それはその人が例えば「たくさん練習をした」というムッツリ資産を手にしているからではないでしょうか?
息継ぎがとっても上手に出来る人がいたとします。それは息つぎがじょうずにできるようになるためにはどうしたらいいのかを一生懸命研究して、自分の状態がどうなのかもしっかり把握して、どうしたらいいかを考えたうえで沢山実験を積んできた証。その証と言うのもまさに自分専用の練習なわけなので、他人と共有したところであまり役に立たないムッツリ資産となるわけです。
運用はどうするの?
ムッツリなので、それは自分の中だけで完結する資産のまま大切にすればよいのです。
反対に人に伝えようとすると、その価値が落ちてしまう性質があると思います。多分伝わりやすくするために色々くっつけちゃうせいで、本当に大切な資産の部分がどこなのか分からなくなってしまうのでしょう。
発表に向けての自信のつけ方なんて人それぞれ。絶対的な正しい答えなんてものはありませんし、そんなものがあったらみんなロボットのようになってしまうでしょう。みんな同じ結果になる発表だったら見ても楽しくもなんともないですね。
先ほどのメロディラインの話で行くと、浮かんだメロディラインそのものというムッツリ資産と、自分ならこういうコードを付けるぞというムッツリ資産が合体して初めて、共有したときに意味をなすものになると思うんですね。
苦労話
えんじろうは他人の苦労して乗り越えた話を聞くことはあまり好きではありません。そこに共感し始めると自分も辛くなることもあるし、乗り越えた瞬間の嬉しさというのは本人ほどは感じることはできません。だって違う感性を持つ別の人間ですから。
聞き手がほとんど同じような場面に遭遇している時になら、共有資産として協力に勇気づける力になるかもしれませんが、これも基本的にはムッツリ資産です。
まとめ
ムッツリ資産とは意味をもつ過去の経験であり、それを資産として再利用していけるのは基本的に自分だけ。たまたまほぼ自分と同じ境遇の人がいた時にだけ、それが共有資産として利用できることもあるよと言う程度で思っている方が良いのではないかと思うんです。
自信を与えてくれたり、アイデンティティというやつを作り上げてくれたり、ムッツリ資産は何かと「自分」というものに関わってくる大切な物の1つなのかもしれないなと思うのでした。
いかがでしたでしょうか?今回初めて、前の記事で使ったキーワードをバトンのように引き継いで次の記事の題材になるというのを試してみましたが、なんかこれだと続けやすくて楽しいですね。