『ブレードランナー2049』と『ブレードランナー』(ネタバレ有り)
『マッドマックス』をはじめ、歴史的名作に準ずる新作、という流れの映画作品を多く目にする今日。「いやーうまくいかねーんじゃねーの?」と眉をひそめつつも、観てみると「すげーじゃねーか!」って大当たりがばんばん出まくり。映画製作者が達してるレベルの高さには頭が下がる。ありがたやありがたや。
そこへきて『ブレードランナー2049』。あらすじ書くと長くなりそうなので省く。主人公がアンドロイド、とだけ。
観てるうちに思った。間の取り方とか、水を使った映像美の感じが、なんかタルコフスキーっぽいなと。
(横道。鑑賞後に、宇多丸師匠の批評を聞いたら「タルコフスキーオマージュ」と言ってて、やっぱり!となり。あの女の子キャラとか、「惑星ソラリスだ」って言ってて。確かにそうだなーと。ラストも「ノスタルジア」ぽい)
かなり映像美を意識して作られてんなーって画面で。前作のように、人々が猥雑に生活してる感じは無かっけど、寂寞感は今回のストーリー的にマッチしてたなーと。
主人公が最初から最後まで可哀想なんだが。孤独な人間には共鳴できるキャラ。
はじめのほう雨降ってるんだけど最後のあたり、雪になってる感じが。主人公も活動停止して、液体から固体になってく感じ。と抱き合わせて抒情的に映る。「嗚呼…」と溜息が漏れる美しい最後だった。
で、前作の『ブレードランナー』見たのが昔すぎてだいぶ内容忘れてるなー、となって。観直し。
終盤で、自我崩壊を起こしたアンドロイド。死ぬ前に言ったこと。アンドロイドにも、美しさを感じる心、詩情、無常観などがあるとわかる、ものすんげ良いシーン。
見直して『ブレードランナー』シリーズのテーマがよりくっきり理解できた。
前作新作どちらも、アンドロイドがアイデンティティを求めて彷徨う話。
本来、人間が持つはずの人間性と、アンドロイドが持つはずの合理性がこの映画では逆転している。
(“人間の理想”としてだから、「本来から人間ってそーゆーもんだよ」っていうのナシね。笑)
アンドロイドが、どこまでも人間的。不合理な行動まで犯して人間を助ける。っていう。テーマも内容も一貫していて、前作ファンも納得の新作だったんじゃあないかと。。文句あったとしても「屋台出せよ!」とかそのくらいか?笑
人間性を無視される現代人の話として、自己投影もしやすいお話ですね。前作の方は時代からしてそういう意味合いの方が強いんじゃないか。
それにしても、前作の方はターミネーターより前、ETと同時期の映画だって?
近年でさえ、AIロボットたちが暴走してギャー!みたいな人間目線の話多いのに。はるか昔にアンドロイド目線でアクション性抑えたロボット自我問題をやってるって。どんだけー。
これからどんどんAIが人間を助ける場面が出てくるのでしょう。どんどん人間に接近して。人間と見間違えるようになった時。アンドロイドは電気羊の夢を見るか?