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留学中断

注)
私の当時の決断やそれまでの過程を私の中で風化させたくなくて書きます。見づらかったら申し訳ありません。
ただ、一連のコロナウイルスの状況の中でこういう感情を持って行動したやつもいたんだな、ぐらいの印象に残ってくれればいいです。

私はインドネシアの大学に去年の8月から留学をしていました。1年間、もっと正確に言えば10か月間の長期留学。行くまでにはその前の年の9月に決断をし、大学内の審査に合格し、相手校の審査にも合格し、必要な手続きを済ませ...、本当にいろいろな準備をしました。いろいろな人に背中を押してもらい、やっと決まった留学でした。


留学の当初の目標は英語で経済学の授業を受けること、具体的には開発経済学の授業を受けることでした。
当時日本の大学で授業を履修していたこともあり、興味を持っていた分野。大学構内の審査で海外留学の目標を聞かれて口から出た言葉。それがこれです。最初言葉にしたときには、私の中で大きな軸になってこないと思っていました。ですが周囲の人間に言えば言うほど、留学が始まる前までに、私の中でそれが大きな目標に自然と変わってくれました。
当時はこんな奴が留学に行ってもいいんだろうか?って考えてもいましたが最終的にそれは間違っていたと実感しました(ここら辺の悩みについては違う投稿で書こうと思います)


最初の1か月は本当に自己反省の月でした。
私の英語や専攻に対しての知識があまりにも足りなかったこと。
周囲の何人かに言われていたのにもかかわらず、インドネシア語の学習をしていなくて日常会話すらできなかったこと。
外に出るとインドネシア語しか通じないため、休日は室内に閉じこもってしまっていたこと。
何もかもが私が思い描いていた、他の人の留学体験記で語られるような夢のような留学生活ではありませんでした。

そんななか、日常生活レベルで困らなければいいや、どうせ家にいてもやることないし、ぐらいで語学学校を始めました。
そこでたくさんの先生やほかの国からの受講者の人と出会い、インドネシア語を使用してのコミュニケーションを通じ、少しずつ留学自体が楽しめるようになりました。

インドネシアでかけがえのない親友もできました。彼は日本に長期で住んでいた経験もあり、皆さんが想像する10倍日本語がうまいやつです。
当初は彼と絡んでいたら、せっかくの留学がもったいないのでは、とどこか避けてしまっていました。しかしそれで彼と交流するのを避けるのは、はっきり言って何の理由にもなりません。
ある時、彼におもいきって習ったインドネシア語で話しかけると、こちらのレベルで合わせて返してくれました。そこからは、「お前ら毎日一緒にいるよな?!」って言われるぐらいには仲良いいですし、帰ってきた今でも暇なときにLine電話をしてバカな事しゃべってます。

多くの日本人ともかかわりました。
これを言うと大体こんな反応が返ってきます。

「え、もったいな~い!」

です。大抵の人が一つ目の感想を抱くのではないでしょうか。これについても別のタイミングで投稿しますが、確実に私の中でプラスの結果につながりました。上記のことをおっしゃる方には「うるせぇ!」って心の中で勝手に思ってます。


そんなこんなで留学生活に少しづつ楽しさを見出し、課題や試験に追われながらも1セメスターを過ごし、1か月の休暇期間の後、2月から新しい学期が始まりました。
そのころ、すでに少しずつコロナウイルスの脅威がニュースで叫ばれるようになりました。こういうニュースには無頓着なお店のおっちゃんや近所のクリーニング屋のおばさんでさえ、その話題を口にしていました。

当初は大学の教室で授業をやっていたのに、気づけばオンライン授業になりました。せっかく仲良くなった授業の友達や、前期あまりできなかったほかの島への旅行、ホームステイやフィールドリサーチ。すべてが在宅での生活に変わってしまったことで潰えていきました。ただ当時、私は終息したのちのことを考えてモチベーションを保っていました。


そして連絡は来ました。

「留学生は直ちに日本へ帰還することを強く要請します」

私が通う日本の大学からのメールです。大学関係者の方の心配や、何度も議論を重ねたうえでのこの通知。今になって思えばすごくありがたい連絡です。ですがこのメールを受け取った当日の私は、

強く要請、つまり強制じゃないよね。死んでも帰国してたまるか。

なんて考えてました。そりゃそうでしょ。帰ったらいつ戻ってこれるかは分からないし、なんのメリットもなさそうに見える。こんなメール意味ないだろ。そんな風に考えました。一読した後、何も考えずその日は寝ました。

ですがそこから、苦楽を共にした留学生たちが次々に彼らの国に帰って行きました。そこからは私自身の帰国についても真剣に考えるようになりました。そして極めつけは違う学部の日本人留学生と電話で喋ったときです。

「帰るときは自分の決断で帰りたいよね」

そして彼女は、帰国の手続きを始めました。
この言葉でメールに対しての私の姿勢を改めました。電話を切った直後、「このあともインドネシアに残っていなければできないこと」と「日本に帰国しなくてはできないこと」に思考を整理しました。何時間も考えました。

そして、私は帰国しました。

以上が私の留学中止の決断の一部始終です。後悔はしていません。これが最後ではないですから。


お読みいただきありがとうございました。


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