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ポテチは小さいやつが好き。


 あっという間の春が終わり僕は都民になった。上京するといろいろな関係が疎遠になり、新しい関係がスタートする。

 僕は遠距離恋愛ができなかった。

 地元に置いてきた彼女のことを懐かしく思う暇もなく都内の喧騒は僕を踏みにじる。そんな現状に頭を抱え、僕は彼女を捨てる決断をした。
 なにをすべきかは分かってしまう。このまま関係を続けてもなにもいいことが無いこともわかってしまった。


 失恋というわけではないが、大切な人と別れるというのはやはり思い出がよぎってしまう。しかしその記憶は大切な記念日でもなく、初めてしたキスの味でもなく、音もなく過ぎていく日常の足音だったりする。


 僕が彼女と別れてしばらく、大体4日くらいは仕事が忙しくて彼女の顔さえ思い出す暇はなかった。しかし暇になった休みの日。趣味である音楽鑑賞や映画鑑賞を済ませ、ふと口の空いてないポテチを見る。
 飼い猫のモアナがその袋をクンクンと嗅ぎ、何か言いたげに自分の定位置である窓側へ腰掛けた。

 

 その時ふと彼女のことを思い出した。ラインは消えてしまっているであろうし、ツイッターは更新するまでもない。インスタも元から繋がってはいなかった。

 そういう時ほど虚しくなるものだ。

 なくてはならないものを失った時の衝撃はかなり激しいものというが、得られていたはずのものを失った時の衝撃もそれに匹敵するほどに激しくつらい。そんなことは理解しているつもりだった。

 それなりに不満もある恋人生活だった。やるべきことはやらないし、少しでも機嫌を損ねたら最低2時間は泣き続ける。そんなめんどくさい女の典型的だった彼女はもういない。

 そんな現実を目の当たりにした時、流れてきたのは涙よりも先に思い出だった。


いつだったか忘れたが、ある日二人でポテチを食べた時の話だ。
僕はポテトチップスを食べるときは必ず小さいものから食べる。出荷の時に他のポテチとぶつかって砕けてしまった破片やじゃがいもの端っこの部分を見るとどうしても大きい目立つよりも隠れて見えなくなっていて、いつもまとめて食べてしまう小さいポテチ。

そんな癖を初めて見抜いたのも彼女である。
最初は「小さいのから食べるよね。なんで?」なんていう他愛もない会話だった。その質問に対して僕は「削れてしまったり、かけてしまったり、元から小さかったり。僕らしいから勝手に感情移入してるのかも」と答えた。
すると彼女は、「確かに、らしい」といって小さいポテチを僕に寄越した。僕はそれをひとつずつ丁寧に箸で口に運んだ。その様子を見て彼女は「餌付けしてるみたい」とさらに笑った。

そんな他愛もない会話に何の意味もないのだけれど。ふと思い出したのがそれだった。

僕はたくさんの思い出に生かされていると改めて痛感した。

 まだまだ未熟な人間で、僕には何の力もない。これでよかったんだ。


 そう信じて僕はポテトチップスの封を切り、目の前に転がってきた小さなポテチを頬張った。