あの日、あの時、あの場所で。
3月11日。
日本が、絶望のどん底に突きつけられ
世界が、一途の希望をひとつにして送り続けたあの日。
人はモノの例えで「きのうのことのようにおぼえている」というけれども、ほんとにそのとおりだな。って心底思います。忘れません、というより忘れちゃいけない。あの日を知らない子、つまりまだこの世に生まれていなかった子がこれからいろんな場面で会うことになるでしょう。
ぼくたちはことあるごとに、きちんと言語化しなくとも各々が伝えやすい継続して発信し続けられるさまざまな媒体や方法、手段でやっていかないといかんなって毎年思っています。
そこで、私はことし できるだけ海沿いの復興地(被災地というと気が滅入るので前向きなポジティブワード)に出向いてみることにしました。世の中がだんだんと、見えない感染症で騒ぎ出しつつありましたが、騒ぎが大きくなる前に半ば強引に。
2月25日。都内の駅のバス停から、高速バスで常磐道に乗り 福島・いわきへ向かいました。私は被災前の福島に行ったことがあって(三春町の滝桜をみました)、学生のときもサークルと私用で会津も中通りも行っているんですよね。でも、浜通りはご縁がなくて。そもそも、福島県は横長のワイドサイズなので。なかなか陸路が厳しい場所ではあります。ましては9年前よりアクセスが難しい地域もまだありますのでやっといけました。
ハワイの雰囲気を売りにしたスパ施設。フラダンスでとても有名で、かつては炭鉱で栄えた街です。老若男女がたくさんいました。
公共放送局の福島ローカルの番組では「測定値」が紹介されています。9年が経とうとしているのに、先のみえない・目にみえない現実。
翌日2/26、いわき・小名浜(おなはま)へ水族館です。こちらも2階近くまで浸水。壊滅的なところからの復興です。港湾系はパッとみると落ち着きを取り戻したように見えましたが、海沿いの大型商業施設が異様な雰囲気でした。(復興事業で震災後できた)
もうすぐ、常磐線 全通です。
つづいて、内陸の郡山へ。時間がありましたので、市内をブラブラ。小学校が立派。
県の合同庁舎の雰囲気が抜群によい。なんか、見たことあるような…映画かな?国の重要文化財です。
昨年の東日本台風で、福島県内のバス事業者が被災したため、レンタル中の都交通局バス。街に強烈な違和感放ちながら快走しておりました。
つづいて、杜の都の東北最大の都市へ。泊まるのははじめて。通過はあるけど。コンパクトシティですよね。福岡とおなじ空気感。
翌日2/27、出来るだけ海沿いへ… ただ、震災遺構の学校が保全工事ということで、地元のみなさんが記憶をたどって復元された「あの日以前の街」が大きな模造紙に広がっていました。街が人が暮らしがあった、日常が一瞬で飲み込まれた現実。重い課題がズコっと語りかけるように、、、
「がんばろう 石巻」
「記憶の記録」
「見つめる先は…」
「異彩を放つ“宇宙船”」
【日本三景】宮島… 2つ目の松島である。芭蕉は句としては詠んでないです。芭蕉の弟子です。おくのほそ道では来ていますよ。橋に行くには券売所があって、土産物屋も兼ねてたのでおばさんに聞いたら「金曜日(きょう2/28)で出足がいつもの10分の1かね〜 午後からいつも増えますよ。 週末でもだいぶ控えているようだけど」「団体バスがまったくないもんね、海外の方もそうだけど、シニアもまったく見かけないね。県外ナンバーも見ないもんね」と閑古鳥が鳴くとはこのこと。たしかに、3世代家族やカップルは数十組いましたが、団体とぜんぜんすれ違いませんでした。残るは天橋立…だ。
※本来であれば、このあと新幹線で函館に行く予定でしたが、先方の宿泊先より「キャンセル料は結構なので 宿泊を取りやめたらどうでしょうか?」と言われ、大人しく従いました。この2/28 夕方、北海道知事が「緊急事態宣言」 3/1東北地方初の感染者が仙台で発生。とある意味、函館の宿泊先のお姉さんの機転で回避できました。本当になんとお礼を述べたらよいか。。。「ラビスタ函館ベイ」の方ありがとうございました。私は必ず、このパンデミックが過ぎ去ったら行きます。で、北海道で指折りの朝食ビュッフェをいただきますよーん。 ※詳しくはhttps://miyearnzzlabo.com/archives/30293「安住紳一郎 ラビスタ函館ベイ 朝食バイキングを絶賛する」(音声で聞く:安住紳一郎の日曜天国 2015.09.20「朝食バイキングは人間の全てが出る!」 https://nhsw9.app.goo.gl/rnxz #ラジオクラウド #tbsradio #nichiten )
私の「東北珍道中紀行」おわり
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