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発達障害 じゃないかもしれない

以前、発達障害に関する記事を上げました。
前言撤回じゃないし、医師の診断ミスだとも断定できないのですが、
単純な発達障害じゃないかもしれない、という結論に至りました。
正確に言うと私はおそらく「複雑性PTSD」というもので、2次障害として
精神障害が出ている状況と想定されます。

※この先で、虐待行為の表現、暴力行為の表現が出てきます。
トラウマや不快感でつらくなりそうな方は閲覧注意でお願いします。


あれから就労移行支援事業所に通所を始め、そちらで色々と学んだのですが、その中でカウンセリングを受ける機会がありまして。
カウンセリングのスキルもスタッフそれぞれで、正直不快すぎて
「もうこの人には担当されたくないです」ってNG出した人も居ます。
可もなく不可もなし、って人も居ます。
カウンセリングじゃなくてただのダベりになる人も。

で、中の一人にどうしてか私の家族歴を気にする方がいました。
無意識に最初の方はその方を警戒していました。
なぜかと言うと、私の育った家があまり健全ではない環境だったからです。

幼少期の最初の記憶は両親(主に母)の怒号と、ものがぶつかり壊れる破裂音。
あとは、私が見たのはガラス製の瓶で殴打されて頭をかち割られた父。
小学校上がるより前だったのかな、父は「○○ちゃん(私)、助けて」と言ってたと思います。「助けるってどうしたらいいの?」のような事を返したような気がしますが、気づいたら父は目の前からはいなくなってました。
まあ救急車が来た記憶はない(定かではない)ので、血が止まったを見計らって父は外に脱出したか、彼の自室にでも避難したのでしょう。

私に関しては、子供なので何らかの失敗や危険な事、もしくは母親の意にそまぬ事を察せず、それをしてしまった時だと思いますが、たいていは母は鬼瓦のような表情で絶叫に等しい怒声を浴びせながら、頭を殴る、顔を叩く(あとが残らない程度に)、私の持ち物を破壊する、どうあっても怒りが収まらない時は引き続きすごい形相の顔面を紅潮させながら怒声と罵声、
「なんで思い通りにならないんだ!!」のような内容を繰り返し叫び続けて、2時間程度は収まるのを待つか、スキをついて近所の祖父母宅へ私が逃亡する事が殆どだったと思います。
すみません、3~5歳頃の事なので多少曖昧です。

後に妹が生まれているんですが、母は育児ストレスで生後間もない彼女に対してもとんでもない事を仕出かし、その時は私なりに(自分が代わりにボコボコに殴るなりされて殺されてもいい)って思って必死こいて止めました。
事あるごとに何とか噴火する母を止めようとしてたんですが、いかんせん私は10歳未満の子供で、できる事には限りがありました。
おむつ替えたり、ミルク作って飲ませたり、その後げっぷさせたり、あせもができないようにパウダーはたいたりとか、あとは離乳食の給仕とか、預け先の園のお迎えだとか、できてたのはそんなもんだし、学校があるからずっと張り付いてはいられないし、毎回できるわけではなかったです。

それでも、母を押し止めるにはどうしても至らなかった模様でした。
「あんたら(父と私と親戚?)が望んだから生んでやったのに!!!あんたらは何もしない!!!!私ばっかり!!!!あんたらはこの子を大事にしてない!!!!!!!!!!」とよく私や父に向かって怒鳴り散らしていましたね。

前述の母のやらかした事は、妹の命を奪うような内容でしたので、小学生の時の記憶ってそこに焦点行っちゃってて、後がほとんど歯抜けなんですよね。一部ほんのり覚えてる事(同級生と教師からのイジメ)もあるけど、まあ上記の事に比べたら屁の突っ張りにもならないレベルです。
だから、どれだけの事をできていたのかは正直自信がないです。
夫婦喧嘩始まったらそっと妹抱いて別の部屋なり、真っ昼間なら外なりに連れ出して避難してました。
記憶が飛んでて、でも(家の内情をなるべく知られないようにしないと)って装う?作り上げる?みたいにした表向きの性格が学校では対応してたかなあ、で、私本人は上の方だか頭の中だかでそれを傍観してる感じでした。
精神障害的な言い方だと「乖離」の状態にちょいちょいなってました。

ただねえ、今考えても母氏、例えば私が妹の生まれた後卒業まで不登校で通して、育児のフォローしてたとしても、定期的にブチギレてたと思うんですよね。
私は自分で言うのもアレですが、自己主張しない静かな子供だったと思います。いわゆる扱いやすい子供だったんじゃないかと思うのです。
多少持病があって、病院にかかる頻度は多かったですが。そんな感じのそこまで育てにくくない性質の子供に対しても「母親」でいなきゃならないってストレスで爆発してたから、私と比べるとやや活発で、自己主張の強めな妹を育てるっていうのがキツかったのかもしれません。
んーとあとは、私と妹に対する扱いが違いすぎるだとかは父によく言ってた気がします。
父だけにでなく、親族全員に対してもおんなじ不満持ってたみたいで、たまに私相手にボルケーノのごとくその事でキレてました。
当該する親族が長男長女教っぽくて、私(長女)と従兄(長男)は確かに親戚の集まりでは姫だか王子だかのような扱いをされてたので、まあ不満はわかるんだけど、私は生まれ順変えられないし親族らの長男長女教もどうしようもないしで、出来たのは親族間の集まり時せめて妹のフォローに回るくらいでしたかね。

救いだったのは、妹は母に手をあげられても理不尽に怒鳴り散らかされても、おかしいと思えば結構「いまのおかしい!」「違う!」って向かっていく子に育ってくれた事です。
あと私は父親似、妹は母親似なのもあり、私に対するよりは手加減があったような印象です。ほら、自分に似てる子はかわいいらしいですし。

父親に関してはまあサラッと言うと、他所に不倫相手がいました。
10歳頃から他所のボディソープのニオイさせて朝帰りするようになったんですよね。
たぶんずっと同じ人じゃなくて、数人は夜職の人とお付き合いがあったと思います。行為ありの風俗か飲み屋かまではしらん。
で、それに気づいた私。(母は気づかなかったのか、気づいてないふりしてたのかは不明)
ゴリゴリの反抗期の全てを父にぶつけて、発散してたのがだいたい中学生くらいだったかと思います。
父と言い争い中に関節技キメてみたり、ソファにバックドロップしてみたり、蹴りを入れてみたりとかそんな感じでした。まあまあの酷さ。
しかしながらそこまで私がブチギレてる真の原因(父の不貞)を詳らかにするのもまあ母に燃料投下する感じにしかならないし、正直汚らしいので口にすら出したくないレベル、と思いながら荒れ狂う日々を過ごします。

で、中学入学頃から空手を習い始めたのですが、そのあたりから母からの暴力や数時間怒鳴り散らされるのはほぼ消滅しました。
理由は簡単で、一度ぶん殴ろうとしてきた母の手をそのチカラを利用するようにして全部受け流す&避けたらまあ痛かったらしくて、そっから殴られていません。
暴力。暴力で全ては解決できるかもしれない笑
いや、それは冗談として。
要はイヌと同じで、イジメやるやつと同じで、自分より物理的に強いイキモノには歯向かわない方が安全、と悟ったんじゃないでしょうかね。

この頃、「その気になれば両親とも物理的に始末できるな」と思い始めますが、色々考えてそれはやめておきました。
なんせ私は中学生の未成年です。働ける年齢ではないし、その年令に達したとして10歳近く年の離れた妹を働きながら育てるのは超絶難易度です。
なので、色々家庭内は惨状ではありましたが、父はATM、母は家事労働+妹の育児をやってもらえるように父への反抗は多少は控えめに、母はこの頃には彼女の機嫌を操縦できる程に懐柔できてたので、目標は(できれば妹の成人までは離婚させんどこ……)と思いつつ、各々の役割を果たしてもらいました。
妹の成人まで持たずに両親は離婚するんですが、ちょっと早まった程度で持った方だと思います。

そんな経緯をつらつら聞かれるがままにカウンセリングで話しました。
聞いてくれた人は「貴方は発達障害というより、虐待サバイバーです」と仰ってました。
私自身もそうじゃないかなとは思ってました。

https://books.rakuten.co.jp/rb/14618921/?l-id=search-c-item-text-01

上記の本で「異邦人」という記述が出てきます。
私いわゆる希死念慮がある人ですが、「死にたい」じゃなくて「消えたい」ってずっと思ってます。
今もそうです。

はっきりとはわからないけど、希死念慮を持ち始めたのはおそらく10歳前後。
まあでも妹いるしコイツら(両親)に出来るとこまでは育てさせなきゃいけないし、とりあえず死ねないよねという感じで生きてきました。

えーと、私についてわかってる事その他。
一応、普通の善悪だとか、倫理観だとか、死生観だとかはわかります。
ただ「資料として識っています」っていう実感です。
それらの感覚は私自身にはうまくフィットしてません。
例えば、中学生の時に「このままコイツら両親に養育される方が有害。私がパクられて年少入りだか死刑だかになっても、妹は名前変えて施設に引き取ってもらった方がマシ。」って判断したら両親始末してました。

人殺しちゃダメだよね、でも妹が生きていくのに害しかないなら始末しといた方がいいよね。
それが私の持つ感覚です。
痛い思いさせてすまんのー、と多少思うかも知れないけど、親だろうが手を下してても罪悪感なかったんじゃないかな。
あの時は両親に生きててもらった方がコスパ的に良かったのと、妹が後年「殺人者の身内」って知れて就職とか生きてくのに不利になったらダメだなあ。というのがやめた基準というか理由。

あとは死生観。多くの人が生きて幸せを追い求めたいのに対して、私自身はあまり興味なくて、妹も友達もそれなりに私が去った後もやっていけるだろうから、叶うならなるはやで消えたいものですね。
もうこの世界の中でやりたい事が特にないんです。
マージでぜんぜん思いつかない。笑っちゃうぐらい。
音楽とか、趣味でアクセサリー作ったりとか、過去に楽しかったと感じるものはあったけど、今はそれらにあんまり関心が無くなってきてます。
好きっちゃ好きですけど、手放せば消えられるなら手放すなあ。

っていうのがちょっとマトモじゃないねえ、という自覚はあります。


そうそう、つい先日希死念慮が爆発的に強くなりまして。
10年くらい前にも自死未遂やってるんですが、その時ぐらい「あ、やっちゃうなコレ」という感覚。
頭の中が大変ややこしいんですが、希死念慮、表に出してる自分、殺意(両親、特に父だが今現在はほぼ休眠)の意識があって、この時は希死念慮が全面に飛び出してきた状態でした。
ただ一部「表に出してる自分」の意識もあり、(今やっちゃうと事故物件なったり血飛沫の後始末やら遺体のなんやらで面倒な事しかない、あと今時期腐乱しやすいしイヤ)→いのちの電話は繋がらないので、地元の相談機関に連絡。
名乗って直後「今めっちゃ自殺したいんですけど、とりあえずどうしたらいいですか?!」と直球にガチで言いました(マジ)
少しやりとりを経て相談機関の人が迎えに来てくれて、某所へ保護されました。迷惑おかけして申し訳ない。

希死念慮爆発のきっかけはつまらないものです。
就労移行支援事業所で、現在関わりの多いスタッフと私が根本的に合わず、しかし表面上は表の人格が”円満な関係”を築いてるていで過ごしてたので本心で降り積もるフラストレーションに蓋をして気づかないふりをしてたら、まあ爆発しました。
一応、処方されてる安定剤は服用してたのですが、数日前から噛み合わないやりとりが当該スタッフと続いており、とうとう自宅で作業中に安定剤の鎮静効果を凌駕する強い衝動が来た。

で、保護された先で色々と話を聞いてもらったり、色々教えてもらったりして、最終的には「今通ってる就労移行支援事業所辞めよう」って結論に落ち着きました。
悪いところではなかったです。初期の講座は受けてて役に立ったし、その頃にカウンセリングしてもらったスタッフが私を虐待サバイバーだと見抜いてくれた事は有り難かったと思います。
ただ、基本的に嫌だったなってのが「構われすぎてうっとうしい」ってところ。

たまたま外出に支障のある怪我をしたので、最後の方で最も関わってたスタッフ(Aさん)に事務所でなく在宅で作業をしたいと相談したら「今月の回数が足りないですから来て下さい、貴方の支援の継続にも関わるので在宅じゃなくてちゃんと来てもらわないと」のような事を言われたり。
怪我をおして行ってみたら別に回数は足りていて、「私の勘違いでした、うかりしてました、すいません」のように軽く謝罪されたんだけど(コイツ金ほしさに通所回数増そうとしたな)って思いました。
※通所する日数が多いほど就労移行支援事業所は儲かる仕組み

ちなみに、虐待サバイバーと見抜いた後にケア的に何度もカウンセリングをしてくれているスタッフ(Cさん)は、「ENYUさんの身体的に負担だったり、あまり来たくない気分とかだったら、在宅での参加で問題ないですよ」と言ってくれてたので、Aさんへの(は?なんだこいつ)感というかヘイトは溜まっていた。

プラスしてAさん。
これも別に悪いと断定もしきれないんだが、こちら(利用者)を生徒、自分(スタッフ)が先生であるかのような振る舞いが強い。
普通の、というか教科書どおりの発達障害のある人だったり、他人から管理される方がラクでいいですってタイプの人になら合うんじゃないかと思うが、残念ながら私は該当しませんでした。
あとね、これは本人もどうしようもない無意識レベルなんだろうけど、わかるんですよ。
こっち(利用者)を心の片隅では下に見てるのがね。
もちろん、ガッツリ口に出したりはしないんですけど、態度と言動の端々に漏れてます。
「自分は健常者。利用者は障害者だから、自分が『管理して』あげなきゃ」
っていうのがね、何十年も人間観察してきた自分は感じ取れてしまってて、(あーこの人心の底ではこっち見下してんのな)ってぶっちゃけ不快でした。
先に述べたもっと施設来いよ的なやつも、他のスタッフならもう少し上手い事「オカネがいるからもっと来てもらわないと困る」ってニオイ出さないで誘導できてたよね、残念だったね。と思います。
というか、直球で「金になるので在宅じゃなくて来てほしいです!!!」って言われた方がまだマシ。
心の底で見下すのはまあご自由にドーゾ、なんだけどその感情はたとえ死んでも表に出すなや。墓まで隠し通せや。
あと、あんたが見下してる利用者(自分)の支払ってる利用料があんたの給料の一部になってんのは、自覚ねえのか?
※私は支払っていますが、0円で利用してる方もいます。

しばらくしたら、別の就労移行の施設に移ります。転籍みたいな感じですね。
そちらには、発達障害と診断されてるけど虐待サバイバーで複雑性PTSDで希死念慮持ちな事と、

「構いすぎないでほしい。利用者を見下すのは心の中では自由だと思うが、態度や言動に滲ませないように気をつけてほしい。あと、こちらは利用料を支払っている顧客であり、生徒ではない。そのように扱ってもらいたい。」

ってな要望を伝えようかなと思います。

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