肉まんじゅう
肉まんじゅう
冬の寒い朝、駅前の小さな屋台から、湯気の立つ肉まんじゅうの香りが漂っていた。誰もが急いでいる時間帯なのに、まるでその香りだけが時間を止めるかのようだった。
アラフォーの隆(たかし)は、その屋台にいつも立ち寄るのが習慣になっていた。特別に美味しいというわけではないが、その肉まんじゅうは隆にとって、平凡な日々を支える何かだった。仕事に追われ、家では娘と妻に挟まれて、ひとりの時間などほとんどない。そんな彼にとって、肉まんじゅうを頬張るその数分間が、唯一「何も考えずに済む」瞬間だった。
ある日、いつものように肉まんじゅうを買おうと屋台に向かった隆は、いつもいるはずの屋台の主人がいないことに気づいた。仕方なくコンビニで似たようなものを買って電車に乗り込んだが、味はまったく違う。あの屋台の肉まんじゅうとは何かが違う。それは単なる食べ物ではなく、自分の人生の一部になっていたのだ、と彼はその時初めて気づいた。
それから数日後、隆は再び屋台の前を通りがかった。今度は屋台が戻っていたが、いつもの主人ではなく、若い女性が立っていた。
「お久しぶりです。父が急に入院しちゃって、しばらく店を休んでました。今日は私が代わりにやってます」と彼女は言った。
「そうだったんですね。お父さん、大丈夫ですか?」と隆は思わず心配になった。なぜなら、彼にとってその主人は単なる屋台の店主以上の存在だったからだ。毎朝顔を合わせるだけの関係だったが、その些細なやりとりが、彼の心の支えになっていたのだ。
「まだちょっと時間がかかりそうです。でも、私も父の味を守りたいと思ってます。よかったら、どうぞ」と彼女は肉まんじゅうを手渡してくれた。
いつもと同じように湯気が立ち、いつもと同じような香りがした。しかし、味は少し違う。だが、そのわずかな違いが、隆にとっては新しい日々の始まりを告げるものに感じられた。
「また来ますね」と彼は言い、歩き始めた。肉まんじゅうの温かさが、これからの寒い冬を少しだけ和らげてくれるような気がした。
そしてその日から、隆の朝は少しずつ変わっていった。家族のために、仕事のために走り続けるだけだった日常が、ほんの少しの余裕を取り戻したのだ。肉まんじゅうは相変わらず平凡な味だったが、その平凡さこそが、彼にとって何よりも大切なものになっていた。
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