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人見知りおじさんの日記

「人見知りおじさんの日記」

10月の空気が冷たくなり、木々の葉も少しずつ色づき始めた。そんな季節の変わり目に、僕はいつものカフェにやってくる。ドアを開けると、カランとベルが小さく鳴る。その音に少し緊張しながらも、僕はお気に入りの席を探す。壁際の、他の人から少し離れた小さなテーブル。ここが、僕の落ち着ける場所だ。

「いらっしゃいませ」

店員の若い女性が元気よく声をかけてくる。僕は会釈で応え、メニューをじっと見つめる。いつも頼むのはホットコーヒーだけだが、何となくメニューを眺めているのが好きだ。店内は他に数組の客がいて、彼らの会話がほどよいBGMになっている。僕は耳を澄ますでもなく、ただその音の中で心を休める。

僕は昔から人見知りだ。子どもの頃から友達を作るのが苦手で、クラスの端っこに座り、できるだけ目立たないようにしていた。大人になってからもその性格は変わらず、会社の飲み会や、親戚の集まりがあると、どうしても緊張してしまう。会話をしようとすると、心臓がドキドキして言葉が詰まる。だから、自然と一人で過ごす時間が多くなった。

だけど、そんな僕にも心温まる瞬間はある。特にこのカフェに来ると、なんだかホッとするのだ。理由は簡単だ。ここでは、誰も僕に話しかけないし、僕も誰かと話す必要がない。それでも、この場所は孤独ではない。不思議と、周りの人々の笑顔や静かな会話を聞くだけで、心が癒されるのだ。

今日もホットコーヒーを注文し、静かにカップを手に取る。湯気が立ち上り、その温かさが手に心地よい。僕の目の前には、開いたばかりのノートがある。これは僕の日記だ。特に大したことを書いているわけではないが、毎日の出来事を少しずつ記録することで、何となく自分と向き合える気がする。

今日の日記は何を書こうか。ページにペンを走らせる。ふと思い出すのは、隣の席に座っている中年夫婦だ。彼らは静かに話し合いながら、メニューを眺めている。その姿が微笑ましい。夫が少し目を細めながら、優しく妻に話しかけ、妻が小さく笑う。その何気ないやり取りが、なんだか心に残る。

僕は、こういう小さな瞬間が好きだ。大きな出来事ではなく、誰かがふと見せる優しさや温かさ。街を歩いていて、子供が手を引かれて笑う姿を見たり、スーパーで年配の夫婦が買い物を一緒に楽しんでいたりする光景。そういうものに触れるたびに、少しだけ僕も温かくなる気がする。

カフェの窓越しに見える風景も、秋の深まりを感じさせる。外を歩く人々が皆、少し厚手のコートやジャケットを羽織り、肩をすぼめて歩いている。寒さが増すと、どこか人々の距離が縮まるように思う。寒さの中で温かいものを求めると、人の温もりが一層大切に感じられるのだろう。

僕は少しだけ、そんな温もりをもらっているのかもしれない。直接誰かと話さなくても、こうして日々の小さな優しさを見つけることで、心が満たされる。日記に書くのは、そんな些細なことばかりだ。それでも、それが僕にとっては大事なことだ。

「コーヒー、おかわりはいかがですか?」

突然、店員が声をかけてきた。僕は少し驚きつつ、また会釈する。

「い、いえ、大丈夫です」

声を出すと少し緊張するけれど、こうして人と関わることも、実は嫌いじゃないんだと思う。たとえ短い会話でも、誰かとの繋がりを感じられる瞬間がある。そして、その一瞬一瞬が、僕の日常を少しずつ彩ってくれている。

僕は再びノートに目を落とし、こう書き足す。

「今日もカフェで静かな時間を過ごした。隣の夫婦の笑顔が印象的だった。寒さが増してきたけれど、心は少しだけ温かい。」

この日記は誰かに見せるためのものではないし、特別なことが書かれているわけでもない。けれど、毎日少しずつ書き溜めることで、自分の心の中にある小さな幸せを確かめられる。人見知りだからこそ、こうして一人で過ごす時間が大切なんだ。

僕はカフェの扉を開け、外に出る。冷たい風が頬を撫で、秋の香りが鼻をくすぐる。今日もまた、静かに一日が終わる。それでも、こうして少しずつ積み重ねていく時間が、僕にとって何よりの財産だ。

人見知りでもいい。小さな幸せを感じながら、自分のペースで生きていけばいいんだと、僕は改めて思うのだった。

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