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月島もんじゃに支配されてしまう。
月島のもんじゃストリート行ったら帰ってこれなくなりそう
あの日、月島に降り立ったのは、ただの好奇心だった。
土曜の昼下がり、友人が何気なく言った「もんじゃ、行こうよ」という言葉に乗せられて、私は人生で初めてその「聖地」と呼ばれる場所へ向かった。地元の駅から電車を乗り継ぎ、月島駅に到着。改札を抜けると、すでに醤油の香ばしい香りが風に混じっていた。これがもんじゃストリートの洗礼か。期待と不安が胸をよぎる。
商店街に足を踏み入れると、そこには無数のもんじゃ屋が立ち並んでいた。「月島もんじゃ」という提灯が至るところにぶら下がり、店の外にはメニュー表を持った店員が客引きをしている。大げさでなく、この通り全体がもんじゃに支配されているのだ。
友人と適当に選んだ店に入る。席に着くと鉄板が目の前に鎮座していて、「これが君たちの戦場だ」と言わんばかりの存在感を放っている。私はもんじゃをほとんど経験したことがなかったので、友人に作り方を一任することにした。
注文したのは「明太もちチーズもんじゃ」。一見、意味がわからない文字の羅列だが、友人いわく「これが鉄板」らしい。運ばれてきた材料を鉄板の上に投げ入れ、ヘラを使って混ぜる。ジュウジュウと音を立てるその様子は、なんともライブ感がある。やがて香ばしい匂いが立ち上り、私の空腹を刺激した。
いざ一口食べてみると、これが驚くほど美味しい。もちの伸びる食感、明太子のピリリとした辛さ、チーズのまろやかさが見事に調和している。「こんなにもんじゃが奥深いとは…」と驚き、気がつけば黙々と食べ進めていた。
しかし、その美味しさ以上に私を驚かせたのは、周囲の光景だった。家族連れ、若いカップル、同僚らしき集団、それぞれが鉄板を囲んで楽しそうに笑い合っている。この光景を見ていると、月島という街がもんじゃを中心に成立しているように思えてくるのだ。そして、その中心にいる自分もまた、この街の一部になっているような感覚に襲われた。
店を出る頃には、私はすっかりもんじゃストリートの虜になっていた。通りを歩きながら「あの店も気になるな」「次はあれを食べてみたいな」と頭の中がもんじゃ一色になっていく。友人は「他の街に移動しようか」と言ったが、私は「もう少しこの辺りを歩いてみよう」と提案した。
その後、別の店に入ってまたもんじゃを頼んだ。今度はシーフードたっぷりのスペシャルもんじゃだ。最初の店とはまた違った味わいで、鉄板から立ち上る香りに、またしても心を奪われる。
気がつけば、もんじゃストリートに来てから数時間が経過していた。友人は「そろそろ帰らない?」と言ったが、私は答えを濁した。「もう少しだけ」と言いながら、次の店へ足を運ぶ。この街には、不思議な引力がある。
最後には、一人で通りを歩きながら「もんじゃの沼」という言葉を心の中で反芻していた。この場所に踏み入れたが最後、簡単には抜け出せない。鉄板の熱気、醤油の香ばしさ、人々の笑い声。それらが私を離さないのだ。
気づけば日が暮れ、月島の街並みが夜の光に包まれていた。駅へ戻る道すがら、「また来るよ」とつぶやいた自分に驚く。たった数時間で、私はこの街の虜になっていたのだ。
月島のもんじゃストリートには、帰ってこれなくなる魔力がある。いや、正確に言えば、帰りたくなくなる魔力だろう。誰かと囲む鉄板の温もり、混ぜ合わせて作る楽しさ、そして一口ごとに広がる幸せ。それらが、私をこの街に繋ぎ止めたのだ。
だから、次にまた月島を訪れる時も、きっと私は帰ることを忘れるだろう。そして、それでいいと思う。