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今やりたいこと

今やりたいこと

「やりたいことって何?」と、たまにふと聞かれることがある。たとえば、久しぶりに会う友人とか、仕事の合間の雑談とか、人生に行き詰まった人が何気なく投げかけてくる質問とか。そういう時、僕は大抵「いや、特にないです」と答える。それが正直なところで、なんかパッと出てこないのだ。

でも、本当に何もやりたいことがないのかというと、そういうわけでもない。ただ、それが「今やりたいこと」として堂々と名乗れるかどうかが微妙なだけで。

最近、僕の中で「やりたいこと」ランキングの上位に君臨しているのが「一人で朝から銭湯に行ってみたい」というものだ。いや、特に斬新でもなんでもない。むしろ、ちょっと渋すぎるかもしれない。けれども、この年齢になると、朝風呂ってすごく魅力的に思えてくる。

たとえば、休日の朝に、まだ街が完全に動き出す前の静けさを味わいながら、銭湯に行く。そこでじんわりと湯に浸かって、心身ともに整える。そんな一人の時間にちょっと憧れる。タオル片手に脱衣所へ向かいながら、「今日の俺、なんか余裕あるな」と密かに自己満足する姿が目に浮かぶ。

こういう話をすると、大抵「なんで一人?」と聞かれる。家族や友達と一緒に行ったほうが楽しいじゃん、と。でも、僕はどうしても一人でやりたいのだ。理由はシンプルで、僕の「やりたいこと」は、他人と共有するために存在しているわけじゃないからだ。なんというか、「一人でやるからこそいい」ことが世の中にはある。銭湯もその一つ。

それにしても、「一人で朝銭湯に行く」という目標がなぜか叶えられないのは、少し不思議だ。きっと、心のどこかで「そんな大したことじゃない」と思っているのかもしれない。もっと壮大なこと、もっと明確なやりたいことを探すべきだ、と自分にプレッシャーをかけているのだろう。でも、考えてみれば「やりたいこと」なんて、壮大である必要はない。むしろ、小さくて些細なことだからこそ、人生が少し楽しくなるんじゃないだろうか。

昔、同じように「やりたいこと」を聞かれて、「老後に田舎でカフェを開きたい」とか、「一軒家で家庭菜園を楽しみたい」とか、そんな理想を語ったこともある。けど、あれは本当の「今やりたいこと」ではなかった気がする。なんというか、「未来の自分」に期待しすぎていただけだ。結局、今の自分がやりたいことを叶えない限り、未来の自分も同じことを繰り返しているだろう。

だから、ここで宣言する。僕は「一人で朝から銭湯に行く」を、ちゃんと実行に移してみる。そして、その銭湯で、小さな達成感を味わったあとには、近くの喫茶店でモーニングセットを食べる。分厚いトーストにバターをたっぷり塗って、苦めのコーヒーをすする。その一連の流れを「やりたいこと」として、楽しみたいのだ。

たぶん、こんな小さな「やりたいこと」が積み重なっていくことで、人生の厚みが出てくるんじゃないかと思う。もちろん、大きな目標や夢を追いかけるのも素晴らしい。でも、日々の中に潜む小さな幸せを拾い上げることも、同じくらい価値がある。

そういえば、こういうことを話していると、友人が「それなら俺も朝銭湯に付き合うよ」と言ってきたことがあった。でも、僕は丁重にお断りした。「いや、これは一人でやりたいんだ」と。たぶん、僕の中で「一人で銭湯に行く」という行為が、ただの行動ではなく、ちょっとした儀式のようになっているのかもしれない。

さて、こうして文章にしてみると、「今やりたいこと」は思っていた以上に魅力的に見えてきた。言葉にすることで、自分の中の曖昧な気持ちが形になり、はっきりと見えてくるのだろう。書いているうちに、なんだか今すぐ銭湯に行きたくなってきた。いや、まだ朝じゃないから今日は無理か。でも、次の休日には実行するつもりだ。

「今やりたいこと」とは、大きくても小さくても、自分の心が少しだけときめくもの。その一つ一つが、僕たちの人生を彩ってくれるのだと思う。

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