アラフォーやりがち恥ずかしい行動
アラフォー世代がついやりがちな「ちょっと恥ずかしい行動」について、エッセイ風に描いてみますね。
最近、ふとした瞬間に「ああ、またやってしまった…」と心の中で赤面することが増えた。そんな「やってしまう」瞬間は、どうやらアラフォーになったからこそのものらしい。普段は気づかないけれど、ふと鏡を見た時や、人前で何かに熱中している時、じわじわと現れてくるのだ。そんな「アラフォー柄やりがちな恥ずかしい行動」を今回は振り返ってみようと思う。
まず、どうしてもやってしまうのが、流行語や新しいスラングをちょっと使ってみたくなる衝動だ。普段の生活では大して気にしていないが、ふとした時に「え、マジ卍」とか「エモい」と口にしてしまい、周りが微妙な空気になるのを感じると、途端にいたたまれなくなる。これが20代の頃なら普通に言えたはずなのに、なぜか今の自分が使うと妙に古くさく、または無理している感じがにじみ出てしまう。それがわかっているからこそ、自分でも「やっぱり無理があるな」と感じてしまう瞬間だ。
それから、つい懐かしい音楽を聴き始めるのも、この年齢ならではだろう。青春時代に流行っていた曲がふとした瞬間に耳に入ると、「この曲、懐かしいな!」とテンションが上がり、知らないうちに口ずさんでいる。でも周りの若い人たちは、そんな曲を全然知らない。そこで、「昔はね、これが流行ってたんだよ」とか「この曲がいかにすごいか」について語りたくなる衝動を抑えきれない自分がいる。若い人たちは興味のない顔で「ふーん」と聞き流しているのだが、それでも懲りずに熱く語ってしまうのだ。後で思い返して「またやっちゃったな」と思うのが定番の流れである。
さらに、SNSでの「いいね」やコメントのつけ方も、なぜか気を使ってしまう。学生時代の同級生や、職場の後輩の投稿を見て、思わずコメントを入れたくなるのだが、どんなテンションで書けばよいか迷ってしまう。例えば、後輩がカフェでおしゃれなランチを載せていると、「わー、素敵だね!」と一言書こうとするのだが、いざ書き込むと少し浮いている気がする。かといって、何も書かずに通り過ぎるのも寂しい気がして、結局「いいね」だけを押してしまう。その「いいね」も、若い人たちのリズムとはどこかずれている気がして、ひそかに恥ずかしくなる。
また、買い物をしている時に「便利グッズ」や「健康グッズ」に目がいってしまうのも、アラフォー世代のあるあるかもしれない。以前はまったく興味がなかった健康サプリや、肩こり解消グッズ、家事の時短グッズなどが目に入ると、つい手に取ってしまう。そして店頭で一生懸命「これがあると楽になるかも」とか「効き目があるなら試してみたい」と考え込む自分がいる。後で冷静になり、「あれって、本当に必要だったのか?」と自問するのだが、時すでに遅し。家には使わないグッズが増えていくばかりだ。
さらに、体の変化を感じ始めているからこその行動もある。例えば、やたらと「ストレッチ」にこだわり始めるのもその一つ。若い頃は適当に体を動かしても平気だったのに、今では座りっぱなしだとすぐに肩が凝り、腰が重くなってくる。そこで、「ちょっとストレッチしなきゃ」と思い立ち、周りの目を気にせず伸びをしたり、体をひねったりしている。会議中やカフェで仕事をしている時に、ふと無意識で体を伸ばしていると、他の人が気づいてクスッと笑うのを感じてハッとする。ストレッチに夢中になっている自分が、どうにも「らしさ」を超えていて、やっぱり恥ずかしい。
そして最後に、思いがけず「物忘れ」が増えている自分に気づかされるのも、なんとも言えない切なさがある。昔は覚えていたことを、ふと忘れてしまい、なぜかメモや付箋で補う場面が増えている。先日も、友人との約束をカレンダーに記入していたはずが、別の予定と重なり、慌てて謝る羽目になった。「もう、年なのかな」と言いたくなるが、なんとなく認めたくない自分もいて、少し複雑な気持ちだ。
こうして振り返ってみると、アラフォーだからこその「やっちゃった」行動は、つい思わずやってしまうものばかりだ。でも、その行動が少し恥ずかしいものだったとしても、それはその年齢を生きているからこその証拠。今の自分が、こうした瞬間を楽しみ、時には反省しながらも過ごしているのだと思えば、悪くない気もしてくる。
次に「またやってしまった」と気づいた時には、少し恥ずかしさを感じつつも、「これもアラフォーの楽しみだ」と思えるようにしてみようと思う。