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令和、幻の鰻重

幻の鰻重

「鰻重ってのは、何か特別な力がある食べ物だよな」と、友人が言った。確かにその通りだと頷いたものの、特別な力とは一体何だろうか。豪華で贅沢な一品ということだろうか。それとも、あの照り焼きのようなタレの甘さと香ばしさがもたらす幸福感だろうか。そんなことを考えながらも、答えは出ない。だが、確実に言えるのは、「鰻重が食べたい」と思った瞬間、人はもう後戻りできないということだ。

週末の昼下がり、何気なく見たSNSの投稿に、見事な鰻重が載っていた。ご飯の上に鎮座する見事な鰻、その身の艶やかな光沢と焦げ目の香ばしさが画面越しにも伝わってくる。投稿者のコメントには「とろける鰻と甘辛いタレが最高でした」とあり、視覚だけでなく想像力までかき立てられる。「これはもう、食べに行くしかないな」と、私はスマホを握りしめていた。

幻の鰻重への旅

早速、ネットで検索を始めた。「近くの美味しい鰻重」と入力すると、いくつか候補が挙がってくる。だが、どの店も何かが違う。「これだ!」という直感が湧かないのだ。その時、ふと思い出した。数年前、知人が話していた鰻の名店のことを。聞けば、住宅街の小さな店で、予約は一切受け付けない。その代わり、開店前から長蛇の列ができるらしい。噂では、そこには幻のような鰻重が存在するという。

その名店へ行こうと決めたのはいいが、場所が少々難儀だった。電車を乗り継ぎ、駅から徒歩15分。さらに小道に入り組んだ先にその店はある。到着すると、すでに10人以上が並んでいる。「鰻重のためなら」と、自分を奮い立たせ、列の最後尾に並んだ。

待ち時間の誘惑

並んでいる間、漂ってくる香ばしい匂いが鼻をくすぐる。炭火の香りが、鰻の甘辛いタレと混ざり合い、これ以上ないほど食欲をそそる。「こんな匂いを嗅がされたら、もう食べずには帰れない」と思わず笑ってしまう。他の客も同じなのだろう。誰もが静かに、その時間を待っている。スマホを見る人もいれば、雑誌を読んでいる人もいる。私は匂いに集中し、心の中で「早く早く」と念じていた。

店の入り口に近づくにつれ、目の前に見えるものが変わっていく。まず、窓越しに見えるのは白い湯気と、立ち上る煙。その奥で、丁寧に鰻を焼く職人の姿が見える。炭火の上で焼かれる鰻が、ぷくっと膨らみ、タレを塗られるたびに光沢を増していく。職人の動きは無駄がなく、一つ一つが芸術のようだ。

鰻重との対面

待つこと約1時間、ようやく順番が来た。店内はこじんまりとしていて、カウンター席が数席と、小さなテーブルが二つ。私はカウンターに座り、迷うことなく鰻重を注文した。しばらくすると、湯気を立てた器が運ばれてきた。開けた瞬間、香りがふわりと鼻をくすぐる。その香りだけで、「来てよかった」と思わせる力がある。

鰻は、まるで宝石のようだった。表面は照りがあり、中はふっくらと柔らかそうだ。一口食べると、口の中でほろりとほどける。その甘さとタレの旨みがご飯に染み渡り、箸が止まらなくなる。「これだ、これが求めていた鰻重だ」と心の中で叫びながら、夢中で食べた。炭火の香ばしさと、タレの甘さ、そして鰻そのものの濃厚な味わい。それらが一体となり、口の中に幸せを広げていく。

幻の意味

食べ終わった後、満足感とともにふと考えた。なぜこの鰻重が「幻」なのか。答えは単純だった。「手に入れるまでの過程」そのものが、幻を作り出しているのだ。場所を調べ、時間をかけ、待ち時間を過ごし、そしてようやく味わう。その全てが一つの物語になり、「幻」を生む。鰻重はただの食べ物ではなく、私たちにとって一つの体験なのだ。

店を出て、再び長い列を見る。「ここに来て食べる価値がある」と、誰もが信じている。私もその一人だ。そして、またいつか、あの幻の鰻重を食べに来るだろうと思いながら、店を後にした。

このエッセイを読んでいるあなたも、きっと鰻重を食べたくなっているのではないだろうか。その瞬間から、あなたの中でも「幻の鰻重」が生まれているのかもしれない。

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