見出し画像

いや、昔からお前デブだったけどね。

「昔は痩せていた」と言い張る女性についての感情を掘り下げたものです。ユーモアを交えつつ、自分の内面を見つめ直す構成にしてみました。

「昔は痩せていたと言い張る人」

「私、昔は痩せてたんだよね~」と、飲み会の席で言う女性がいる。その場にいる全員が「うんうん」と無難な相づちを打つ中で、僕だけが心の中で「絶対ウソだろ」と突っ込んでしまうのだ。いや、別にその場を荒らしたいわけじゃない。ただ、「昔痩せてた」という言葉が妙に癪に障るのだ。

今目の前にいる彼女は、ぽっちゃりどころか、どっしりとした体型の持ち主だ。本人もその自覚があるのか、「最近は全然運動してなくて~」とか、「お菓子がやめられなくて~」なんて言い訳を付け足してくる。そんなときに「昔は痩せてた」とわざわざ言い出すのは、まるで今の自分を無かったことにしようとしているように感じられる。これが腹立たしい。

僕は考えた。なぜこの「昔痩せてたアピール」に、こんなにもイラっとするのか。
ひとつの理由は、それが「証明されない事実」だからだろう。昔の話なんて、こちらは確認のしようがない。だから、「え~そうなんだ!」と適当に流すしかない。証明できないことを言い張られると、人は無意識に不快感を覚えるらしい。僕のこのモヤモヤは、科学的に説明できるのかもしれない。

でも、それだけじゃない気がする。もっと深いところに理由がある気がするのだ。

思えば僕も、昔の自分を美化してしまう癖がある。
高校時代、僕はお笑いが好きな、いわゆる「ちょっと変わった奴」だった。友達も少なく、教室の隅でひたすらノートにギャグを書き溜めていた。周囲からは「何あいつ」と思われていたに違いない。

でも、大人になって飲み会の席なんかで話すとき、ついこう言ってしまうのだ。「高校の頃はお調子者でクラスの人気者だったんだよね」と。いやいや、全然そんなことはなかった。むしろ空回りして周りをドン引きさせていた方だ。それでも、昔の自分を美化して語ってしまうのは、どこかで「今の自分」を認めきれていないからだろう。

だから、「昔は痩せてた」と言い張る彼女の言葉が腹立たしいのは、きっと僕自身のコンプレックスを刺激されるからなんだ。自分も同じように、都合のいい「過去」を語っては、今の自分から目を逸らしているんじゃないか、と思い知らされるのだ。

さらに言えば、僕の中には「本当は痩せてたんだとしても、今の方がその人らしいんじゃないか?」という思いもある。痩せているとか太っているとか、そういう表面的なことにこだわらなくても、彼女のキャラクターは十分魅力的だ。なのに、自分を「昔の痩せてた自分」に結びつけようとするのは、なんだかもったいない気がする。

しかし、そうやって他人を分析しているうちに気づく。これは完全に僕のエゴだ。彼女には彼女の価値観があり、「昔は痩せてた」という発言が彼女にとって必要なものなのかもしれない。もしかしたらそれは、彼女なりの自己防衛だったり、自己肯定感を保つための手段なのかもしれない。

思い出すのは、ある先輩芸人が僕に言った言葉だ。「お前さ、今の自分を認められないと、いつまでたっても苦しいままだぞ」。そのときの僕は、売れない時期の焦りや周囲の目を気にして、過去の自分にばかりすがっていた。でも、先輩の言葉を聞いて初めて気づいた。「過去はもう変えられないし、過去にしがみついても何も変わらないんだ」と。

そう考えると、「昔は痩せてた」という発言も、少しだけ許せる気がする。彼女もまた、今の自分をどうにか受け入れようとしている途中なのだろう。僕がその道の途中で立ち止まっているように。

次にまた「昔は痩せてた」と言い張る人に出会ったら、少しだけ優しくなれそうな気がする。きっとその言葉の裏には、誰にも見えない彼女なりの戦いがあるのだろうから。それでもどうしてもイラッとする自分がいるのなら、それは僕自身の未熟さの証だ。

さて、缶コーヒーを飲み干して、僕はまた歩き出す。自分の「昔」に目を向けることも大切だけど、そろそろ「今」の自分に向き合わないとな、なんて思いながら。

あとがき

自己分析と軽妙な語り口を意識しました。テーマは鋭いですが、読後感は少し温かく、考えさせられるものにしています。い

いいなと思ったら応援しよう!