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吉野家の牛丼と俺の人生

吉野家の牛丼と俺の人生

最近、吉野家の牛丼を食べると、妙に懐かしい気持ちになる。あの甘じょっぱいタレの匂いが鼻に入ってくるだけで、もう俺の胃袋はスタンバイOKだし、紅生姜を山盛りに乗せた時のちょっとした背徳感すら愛おしい。けど、懐かしいって感情は、ただの味覚の問題じゃない。吉野家の牛丼は、俺の人生のいろんな場面に、ちょっとずつ顔を出してくる。

学生時代の牛丼

初めて吉野家の牛丼を食べたのは、中学生の頃だった。近所のデパートのフードコートに吉野家が入ってて、親と一緒に買い物に行った帰りに、「安いし、食べてみる?」みたいな感じで初体験を果たした。湯気が立ち上る牛丼を前にして、「え、これが大人たちが言ってる“うまいやつ”なのか?」と若干の疑いを持ちつつ、ひと口食べた。そしたら、もう完全に降参。甘いタレの染みたご飯が口の中でほぐれて、細切れの牛肉と玉ねぎの風味が広がる。親が牛丼をかき込むのを横目に、「なるほど、こういうのが庶民の味ってやつか」と、中学生なりに勝手に納得したのを覚えてる。

高校時代は部活帰りによく食べた。腹が減りすぎて、「とにかく米を詰め込みたい」っていう衝動があった時、吉野家の牛丼はその願いを叶えてくれた。とくに、つゆだく。あのつゆだくは、育ち盛りの男子にはほぼ魔法だった。ご飯の量は変わらないのに、つゆを増やしただけで腹にたまる感じが増す。「つゆが多いってことは、実質、大盛りなのでは?」みたいなアホな理論を持ち出し、得した気分になりながら食べてた。

社会人と牛丼

大学を出て社会人になると、牛丼との関係は少し変わる。学生時代は、「食いたい時に食うもの」だったのが、社会に出ると「時間がない時の救済措置」に変わった。

働き始めたばかりの頃、終電ギリギリで帰る日が続いた。コンビニの弁当ばかりだと味気ないし、でも自炊する気力なんて残ってない。そんな時、吉野家の「並、つゆだく、玉子付き」が俺を救ってくれた。店に入ると、もう俺のことを待ってたかのように、カウンターの向こうの店員が「並ですか?」って聞いてくる。「いや、たまには違うの頼もうかな」と思うものの、結局いつものやつを頼んでしまう。これはもう、習慣とかそういうレベルじゃなくて、「疲れた俺の体が求めるもの」として刷り込まれてしまったんだと思う。

あと、牛丼は「孤独を誤魔化せる食べ物」でもある。社会に出ると、ひとりで食事する機会が増える。ひとりで飯を食うのは別に寂しいことじゃないんだけど、それでも「何か寂しいな」と感じる日がある。でも、吉野家は違う。なぜか、あそこでは孤独が際立たない。店内を見回すと、他の客もみんな無言で牛丼をかき込んでる。そういう場所なんだ、あそこは。「牛丼を食う」という目的が全員一致してるから、無言が気にならない。

父親と牛丼

結婚して子どもが生まれると、牛丼の意味もまた変わった。以前みたいに「腹を満たすため」だけじゃなく、「家族と一緒に食べる」ものになった。

ある日、娘を連れて吉野家に行った。嫁は「まあ、たまにはいいか」と渋々許可。娘はまだ牛丼デビュー前だったので、「これが日本の伝統的ファストフードだよ」と訳の分からない説明をしながら、小さく刻んだ牛肉を食べさせた。すると、娘が「おいしい!」と目を輝かせた。その瞬間、「ああ、俺も昔、こんな風に親と食べたな」と思い出して、なんか胸がいっぱいになった。吉野家の牛丼って、世代を超えて受け継がれていく食べ物なんだなと、勝手にしみじみした。

それにしても、俺がガキの頃は「外食=特別なイベント」だったけど、今の子どもにとってはそうでもないのかもしれない。ファストフードもコンビニ飯も、身近にありすぎる。でも、それでも、「親と一緒に牛丼を食べる」という経験は、何かしら娘の記憶に残ってくれるんじゃないかと思っている。

牛丼の未来

牛丼は変わらないようで、少しずつ変わっている。昔は「牛丼といえば吉野家」だったのに、今はすき家や松屋も勢力を広げて、トッピング文化が発展してきた。チーズ牛丼とかキムチ牛丼とか、俺が学生の頃には考えもしなかった牛丼が当たり前になった。

でも、結局、俺はこれからも吉野家の牛丼を食べ続けるんだと思う。たぶん、40歳になっても、50歳になっても、何かのタイミングでふと店に入って、カウンターで無言でかき込む。そして、そういう時にきっと、「俺も年取ったな」とか、「昔、娘と食べに来たな」とか思い出して、また少ししみじみするんだろう。

吉野家の牛丼って、ただの食べ物じゃない。人生のいろんな場面に寄り添ってくる、俺にとっての「記憶の味」なのかもしれない。

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