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どうせ明日の自分が俺のライバル

明日の自分が俺のライバル

目覚まし時計のアラームが鳴る数分前に、僕は目を覚ます。この数分が、僕と「昨日の自分」との境界線だ。布団の中で目を開けたまま天井を見つめながら、昨日の自分の言葉が頭の中に響く。

「明日やればいいだろ?」

いや、確かに正論だ。明日って、なんだか無限に可能性があるような気がする。筋トレもランニングも、やるべきタスクも、全部明日から始められるような気がする。だけど、この“明日やればいい”の魔法にかかるたびに、僕は「昨日の自分」というやつに手玉に取られている気がしてならない。

昨日の俺は甘やかしの天才

昨日の自分は、今日の僕に甘く囁く天才だ。「もう少しテレビを見よう」「あと5分だけスマホを触ろう」「今日は気分が乗らないから休んでもいい」。それらの言い訳は、まるで一流の営業マンが耳元でささやくような説得力を持っている。

そして、今日の僕はその言葉に見事に乗っかり、また明日の僕に同じ言い訳を押しつける。まるでリレーだ。責任を持たないまま、次のランナーにバトンを渡し続けるリレー。

でもその結果、僕は何も変わらない。筋トレを始めることもなく、ランニングを習慣にすることもなく、部屋の掃除も先送りにされる。そんな「昨日の自分」を振り返るたび、なんとも言えない敗北感が胸に押し寄せる。

明日の俺は希望に満ちている

対して、「明日の自分」はいつだって完璧だ。カレンダーの1日先を覗いてみると、そこには映画のヒーローのような自分がいる。朝5時にスッキリ目覚め、部屋を片付け、体にいい朝食を作り、30分のランニングを終えてデスクに向かう僕の姿が見える。

その姿があまりにも理想的だから、僕はいつも「明日」に逃げてしまう。そして、逃げた結果として生まれるのは、今日の僕の後悔だ。

「明日の自分」とは、希望であると同時にライバルだ。僕が理想を掲げる限り、彼は僕の一歩先を走り続ける。僕が今日やるべきことを放棄すればするほど、彼はどんどん高いところに行ってしまう。それが、なんとも悔しい。

今日の俺はいつだって孤独だ

本当は、今日の僕が一番頑張っているのに。それなのに、僕はいつも「昨日」と「明日」の間で孤独だ。昨日の僕は甘やかしてくるし、明日の僕はプレッシャーを与えてくるし、今日の僕には誰も味方がいないように思える。

でも、そんな中で一歩踏み出すしかないのだ。今日の僕が頑張らなければ、明日の僕も希望を持てなくなる。

だから僕は、布団の中で天井を見つめながら、小さく決意をする。

「とりあえず布団を出る」と。

小さな勝利が、大きな未来を作る

布団を出て、顔を洗って、歯を磨く。それだけでも、昨日の僕に勝った気がする。さらに言えば、部屋を片付けたり、少しだけストレッチをしたりすることでも、明日の僕に近づけたような気がする。

人生は、そんな小さな勝利の積み重ねだと信じたい。たとえ昨日の僕が甘やかしてきても、たとえ明日の僕が完璧を押しつけてきても、今日の僕が小さな一歩を踏み出せば、それでいい。

なぜなら、結局「明日」というのは今日の連続でしかないのだから。

明日の自分に少しでも勝てるように

僕は今日も、小さな勝利を積み重ねていく。昨日の自分に騙されないために、明日の自分に負けないために。布団を出ること、部屋を片付けること、机に向かうこと。それが、僕と「明日の自分」というライバルとの戦いだ。

そして、今日を乗り越えた先にある「明日」こそが、僕にとっての真の勝利なのかもしれない。

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