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サトミツとこれから先も仲良くやっていく方法
サトミツとこれから先も仲良くやっていく方法
40を過ぎてから、「親友」という言葉が妙に恥ずかしくなった。
「友達」でいいじゃないかと思うし、そんなことわざわざ言わなくても伝わる関係こそ本物だと、どこかで大人ぶってしまう自分がいる。けれど、これだけははっきりしている。サトミツこと佐藤満春という人間と、僕・若林正恭は、これからもきっと仲良くやっていける。いや、やっていきたいのだ。
でもふと考える。仲良くやっていきたいと思うからといって、それが保証されるわけではない。僕たちのように仕事とプライベートが混ざり合った関係の場合、ちょっとしたことで距離ができたり、逆に気まずさが溶けてさらに深まったり、予測不能なことばかりだ。だからこそ、この先の道のりを慎重に考えることも必要だと思う。
サトミツと僕の関係を例えるなら、人生の中で偶然出会った隣人のようなものだ。
同じ「芸人」というアパートに住んでいて、部屋が隣同士。僕がひとりで悩んでいると、ドアをノックして「なんかあった?」と声をかけてくれる。あるいは、勝手に部屋に入ってきて、雑巾を持ちながら「ここ掃除しておいたから」と笑うような。そんな存在だ。
ただ、この「隣人関係」はお互いにとって楽なようで、実は難しいバランスの上に成り立っている。なぜなら、僕は内向的で、人と距離を取ることで安心感を得るタイプ。一方でサトミツは、気遣いの鬼であり、こちらの思惑を飛び越えて踏み込んでくる。僕にとって彼のその行動はありがたくもあり、たまに疲れることもある。
それを乗り越えるには、やっぱりお互いにちょっとずつ変わるしかないのだろう。
たとえば、最近こんなことがあった。
僕が体調を崩したとき、サトミツは心配して大量の栄養ドリンクを持ってきた。ありがたいが、正直「そんなに飲まないよ」と思った。でも彼の前で「いらない」と言える性格ではない僕は、ありがとうと言って受け取った。その後、彼が帰ったあと冷蔵庫の前でふと考えたのだ。
「僕もちゃんと自分の気持ちを言った方がいいのかもしれない」と。
サトミツにとって、僕が何を考えているか察するのは簡単ではないだろう。なぜなら、僕自身がそれを隠してしまうからだ。僕が少しずつ本音を伝えれば、彼の負担も減るし、お互いもっと楽になるのではないか。
一方で、サトミツにもお願いしたいことがある。僕が「ありがとう」と言ったとき、それをそのまま信じてほしいのだ。僕が口下手なだけで、本心では感謝していることが多い。相手の行動を深読みせず、シンプルに受け止めること。それがこれから先の友情を支えるコツなのかもしれない。
こうして考えると、サトミツと仲良くやっていく方法は、お互いにとって「ちょうどいい距離感」を探り続けることだと思う。
僕たちはそれぞれ違う人間であり、価値観も行動パターンも異なる。だから、完全に理解し合うことは不可能だ。でも、その「不完全さ」を認めることで、逆に強い絆が生まれるのではないだろうか。
そしてもう一つ大切なのは、「ありがとう」と「ごめん」をちゃんと伝えることだ。
これも簡単なようでいて、長く一緒にいるとついおろそかになる。親しい相手ほど礼儀を省略しがちだが、そこに甘えすぎると小さな溝が生まれる。だから、これからも僕は、サトミツに感謝と謝罪を惜しまないつもりだ。
最後に、サトミツと僕の関係には「遊び」が必要だとも思う。
遊びとは、文字通りの遊びでもいいし、心のゆとりでもある。たとえば、仕事で忙しい合間に一緒に飲みに行くとか、くだらない話で笑い合う時間を大事にすることだ。そういう時間があるからこそ、仕事でぶつかることがあっても「まあいいか」と思えるのだ。
僕たちはこれからも、お互いの生活を覗き見しつつ、たまに笑い、たまにぶつかりながら歩んでいくのだろう。
だから、僕はこう結論づける。
サトミツと仲良くやっていく方法なんて、実は特別なことは何もいらない。ただ、これまで通り、少しずつ成長しながら、たまに振り返って笑う。そうやって進むだけでいいのだ。
そして今日も、サトミツの声が頭に響く。
「若林さん、またあの話の続きしようよ」
その声に、僕は心の中で「いいよ」と答えるのだ。