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不審者との境界線で
ここ最近、毎日30分歩くようにしている。そう決めたのは、体にいいとか、心がスッキリするとか、そういう話を聞いたからじゃない。ただ、家にいてもスマホばっかり見てしまうし、夜は夜で何となくYouTubeを流して過ごしてしまう。なんか、もうちょっとマシな時間の使い方をしたいな、と思っただけだ。
最初の数日は「毎日30分歩くぞ!」と気合いを入れていたのだが、すぐに「なんで俺はこんな寒い中、ひとりで歩いているんだ?」という疑問が湧いてきた。特に冬の夜は、人が少ないし、なんとなく寂しい。たまに犬の散歩をしている人とすれ違うくらいで、歩道には自分の足音しか響いていない。こんなの続くのか? と思ったが、とりあえず「3日坊主になるかどうかの実験」というつもりで歩き続けた。
散歩と不審者の境界線
ひとつ気づいたことがある。散歩は、時間帯や服装次第で不審者になり得るということだ。昼間にジャージで歩いている分には「健康意識高い人」なのに、夜中にフードをかぶって無言で歩いていると、途端に「不審な動きをする中年男性」になってしまう。
このことに気づいてからは、散歩スタイルにも気を遣うようになった。なるべく堂々とした足取りで歩き、視線もキョロキョロさせず、スマホを見ながらうつむかないようにする。ポケットに手を突っ込んで歩くのも、なんか「良からぬことを考えている人」に見えそうなのでやめた。結局、「軽く腕を振りながら、楽しそうな雰囲気を出して歩く」というスタイルに落ち着いたのだが、これはこれで「急に健康に目覚めたおじさん」っぽくて恥ずかしい。
そんなある日、散歩中に警察官とすれ違った。なんとなく嫌な予感がしたのだが、案の定「ちょっといいですか?」と声をかけられた。「最近、この辺で不審者の目撃情報がありまして…」と言われ、「もしかして俺のことか?」と焦る。いや、さすがに違うだろうと思いつつ、「いやぁ、散歩してるだけなんですけどね…」とぎこちなく笑ったら、警察官も「あ、そうですか。すみません」と言って去っていった。
この出来事があってから、散歩に出るときは「ちゃんと運動している雰囲気」を出すために、スポーツウェアを着るようにした。すると、不審者感は薄れるのだが、今度は「ランニングしないの?」というプレッシャーを感じる。結局、散歩とは「健康のために歩いている人」と「深夜の不審者」の狭間を行き来する行為なのだと悟った。
変化に気づく
散歩を始めて1か月ほど経った頃、ある変化に気づいた。
まず、家の近所の道にやたらと詳しくなった。今まで車や自転車でしか通らなかった道を歩くことで、「こんなところに小さな神社があったのか」とか、「この家、庭にでっかい猫がいるな」とか、細かい発見が増えていく。
それから、近所のコンビニの店員さんと顔見知りになった。散歩のついでに毎回同じコンビニでお茶を買っていたら、ある日「いつもありがとうございます」と言われたのだ。これには驚いた。俺は別に常連になろうと思って通っていたわけではない。ただ、なんとなく「コンビニで何か買う」というイベントがあった方が散歩のモチベーションになる気がして、毎回寄っていただけなのに。
さらに、歩くことで頭が整理されることにも気づいた。例えば、仕事で嫌なことがあった日。最初はモヤモヤしながら歩くのだが、しばらくすると「まぁ、そんなに気にすることでもないか」と思えてくる。逆に、「あの時こう言えばよかった!」みたいな妙に前向きな反省が生まれることもある。
歩くことは、意外と心にもいいらしい。
散歩の先にあるもの
結局、散歩を続けている理由は「体にいいから」ではなく、「なんか気持ちがいいから」なのだと思う。運動というより、心の整理の時間。スマホやパソコンの画面を見ない時間を強制的に作れるのもいい。
とはいえ、毎日「よし、今日も歩くぞ!」と前向きに出発するわけではない。正直、面倒くさい日もある。特に雨の日は「今日はもういいか…」となりがちだ。それでも、「とりあえず家を出る」ことができれば、意外と歩いてしまう。
最近では、散歩が終わるとちょっとした達成感を感じるようになった。特に、寒い冬の夜に「今日も30分歩いたぞ」と思えたときの充実感は、なんとも言えない。別に誰に褒められるわけでもないのに、「よし、今日もやったぞ」と自己満足できるのがいい。
そんなわけで、もし「なんかスッキリしないなぁ」と思っている人がいたら、とりあえず30分歩いてみるのをおすすめしたい。ただし、夜中にフードをかぶって歩くと、ちょっとしたスリルが味わえるのでご注意を。