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【Digression】それが後悔でも後悔しない

週半ば、気だるさ、無気力、イライラはまだ抜けないが、自分のためにちょっと書く。

界〇拳50倍くらいのダウナーあるいは超ダウナー人

前も書いたけど、心理的、身体的なさまざまな要因でダウナーな時というのは、考え方もちょっとやな感じになる。

今まさに定期的、周期的なタイプのそれである。
そこでちょっと自分を励ましついでに、また読みにこれるように書いておく。

ダウナーな時は、いつも以上に何かやらかしがち、あるいはやりたいこと、やらなきゃいけないことやれないがちで、いつも以上に呆れて泣けてくる。

そして、また自分が嫌になったり、後悔して嫌な気分で過ごすはめになったりと、堂々巡りの考えと不快感情の沼にハマって大忙しで、これまたやるべきことが手につかなくなるのだ。

後悔でなく反省を、とは言うけれど

こういう時に(こういう状態の人に対して)、「後悔せずに反省する」という旨の標語が掲げられることがあると思う。

後悔やら不快感を伴わずに、反省して成長に繋げられたら、それは素晴らしいことだとは思う。

私も、これまでの後悔が、全て反省であったならば、果てしなく成長しているのではないかと謎の後悔に苛まれている。

まあ、後悔してもその上で反省して成長に繋げられたならばそれも大変素晴らしいことだろう。

しかしながら、さっき言ったようにダウナーな私は、反省も出来ずに後悔していることに対して、さらに後悔してしまうようなやつなのだ。

後悔する自分に後悔しない

こんなことを繰り返して悶々と堂々巡りに振り回されていたのだが、ふと「後悔したって大丈夫」「後悔している自分に対して後悔しない」、何か上手く言葉に出来ないが、そんな考え、思いが浮かんだのだ。

つまり反省できなくて、後悔するくらいなら後悔してる自分、嫌な自分、自分が嫌になる自分も、まあちょっとだけ、優しく扱ってあげても良いかなと思うのだ。

そう思えてから少しは後悔と堂々巡りの沼から少し浅瀬に這い上がれたような気がしたので、何かまだ上手く言葉にできていないし、なんだかしっくりきていない書き方になっているけれど、今後の自分とも共有しておく。

書いていて思ったが、これ自体は反省した、できた、ということなのだろうか。
だとしたら、不快感情の泥沼にハマったことも、後悔する自分に後悔しないことも何かしら功名があったのかもしれない。


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