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【Digression】既得権益とインターフェース(エンジニアリング×デザイン)
ここで述べているのは、当たり前ですが、全くアカデミックでも、専門的でもない見地からの「個人的な、あまりに個人的な」見解です。
概念の拡張
「既得権益」を或るコミュニティなどが歴史的、階級的要因によって得られる権益、あるいはその権益の帰属者、というところから勝手に(概念を)拡張する。
どのように拡張するか、というと、「歴史的」という時間的な側面?をさらに空間的?につまり「地理的」「場所的」「距離的」な所与条件によって得られる権益を含めてしまう。
また「階級的」という固定的、あるいはそれ自体が、その力を固定化、強化するような、静的な側面を、「能力」「努力」など動的で、可変的なものによって得られる恩恵についても含めてしまうように拡張する。
こう書いてしまうと、誰かが得た恩恵、利益が全て既得権益になってしまうし、そもそも動的、可変的なものを含めたらそもそも「既得」ではないのではないか、とすら思えてくる。
しかし、ある特定のコミュニティなどに利益が帰属する、帰属しえる可能性を一般化できない、敷衍できない、囲い込まれた状況が発生する、というのは評価するスコープの設定する仕方で「既得」的だと考えられるように思う。
利益の帰属主体の固定性
ここでは、何らかの条件によって発生した利益の帰属先が固定化される、ということ、それ自体を「既得権益」と表現(あるいは把握)している。
(こういったものをより適切に表す言葉があるかもしれないが、無知のため、とりあえず「既得権益」という槍玉に上がりやすそうなこの言葉を使ってみた)
なぜ、こんなことを言うかというと、いまだに能力や努力やらによって、あるいはセンスとか個性とかによって、「獲得」したかに思える何らかの恩恵を、何らかのわかりやすい対象に帰属させがちである、と感じることあるからである。
じゃあ、正当な評価とは何か、とかどうしたら良いか、とかそんな生産的な見解は持ち合わせていないのだけれど・・・
何が言いたいかというと・・・
別にだから悪いとか、努力できたのも能力があったのも環境要因でしょ、とかそんな「何でも還元主義」的に批判したいわけではない。
ただ何らかの囲いや固定性に対して、その境界面、接触部のあり方をデザインする、ことがとても重要であり、何かを知る、何かがわかる、何かができる、何かを得る、といった際に、できるだけ、どんな「人」でもそこにアクセスしたり、自己化したりするための、一般的だが、抽象的ではない、インターフェースを構築できるようになりたいな、と思ったので、何となく文章にしてみた。
相変わらず何を書いているのか、何を言いたいのか、内容が無いような話。
でも、もし自分が欲しいもの、なりたいものに自分の力で触れられたら幸せだと思うけど、そうでなかった自分、今もそうでない自分が(そして誰もが)、諦めずに済むそんなインターフェースをデザインしたり開発できたらなと思った。