ロバート・フロストの詩から人生を考える
金持ち父さん貧乏父さんの本に出会ってから知った有名なロバート・フロストの詩「The Road Not Taken」(選ばれざる道)が印象的だったので取り上げます。
黄色い森の中で、道が二つに分かれていた
残念ながら、両方の道を進むことはできない
ひとりで旅する私はしばらく立ちどまり、
片方の道をできるだけ奥まで見ると、
その道は、先で折れて草むらの中に消えていた
次に、もう一方の道に目をやった
こちらも劣らず美しいし、
むしろ良さそうに見えたのは、
草が生い茂っていて踏み荒らされていなかったからだ。
もっとも、それを言うなら、その道を通る事によって
実際にはどちらもほとんど同じように踏み均されてしまうのだが。
あの日、どちらの道も同じように、
まだ踏まれずに黒ずんでいない落ち葉に埋もれていた。
あぁ、私は最初の道を、別の日のために取っておくことにした!
しかし、道が先へ先へと続いていることは分かっていたから、
この場所に戻ってくるかどうかは、疑わしかった。
この先、私はため息まじりに語り続けるつもりだ。
今から何年、何十年先になっても言い続けるつもりだ。
ずっと昔、森の中で道が二手に分かれており、私は―――
私は、踏みならされていない道を選んだ。
そしてそれが、決定的な違いを生んだ。
The Road Not Taken(ロバート・フロスト)の日本語訳(出典:Weblio)
踏みならされた道(みんなが通っている道)か踏みならされていない道(みんなが通らない道)のどちらを通るべきか、選択することを考えさせるロバート・フロストの詩は今まさにこの人生の分岐点に立つ私に刺さる詩ですね。
思い返せば、私はこれまで踏みならされた道を歩んできました。
周りが高校受験をするから、同じように高校受験をしました。
周りが大学受験をするから、同じように大学受験をしました。
周りが大学院に進学するから、同じように大学院に進学しました。
周りが就職活動をするから、同じように就職活動をしました。
そして、今年になって親や友達が進む道を引き返しました。
会社を退職して、何か自分で稼ぐ手段はないのかを模索しています。
今まで歩んできた踏みならされた道から引き返し、またこの詩でいう二つの道の分岐点まで引き返してきました。
戻ってきた自分は一体どちらの道に進むべきか?
踏みならされた道は、未来を見通せます。
その未来は、今の安定を優先して、その先にある将来の安定を捨てることを意味します。
逆に踏みならされていない道は、全く未来を見通すことができません。
その未来は、どんなイバラの道があるかどうかわからないけど、今の安定を捨てて、その先にあるかもしれない真の安定を追い求めることができることを意味します。
ざっくり言えば、今のうちに苦労するか、もしくは今、楽をするかということです。
私の父親は「会社員は楽」だと言っていました。
そんな父親は、何回も転職を繰り返しました。
父親は60代でこれから仕事探しに奔走することになります。
つまり父親はこれまで楽をした結果、老後間近で苦労しています。
そんな父親を見て、また踏みならされた道に戻りたいとは到底思えません。
私は老後になって、「あの時、苦労すればよかった」と絶対後悔したくないです。
一度きりの人生なので、若くて元気なうちに数多くの経験をして、数多くの失敗をすることで自身を成長させていき、最終的には経済的に豊かな生活を送りたいと思っています。
具体的には、ブログ運営と起業をして、まず経験を積むことです。
今、苦労することで、真の安定を得ることに全力を尽くしていきます!!
では、今回はこの辺で!
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