英語は心と身体で伝わればよいという言い訳
日本人が英語を一番使うのはビジネスシーンだろう。ビジネスというより仕事のシーンと言った方正しいだろうか。
私たちが日常のシーンで英語を使うことは、一部の人たちを除いては、ほぼいない。家では日本語を教えられえ、日本語で教育を受け、買い物に行くにも日本語で、何かサービスを受けよう時にも日本語が使われる。だから、学生時代に積極的に国際交流をしようと思わなければ、社会人になってから突然に英語を必要とされる。
社会情勢が不安定なこの時期では色々な国同士が意見を交わしあい、政治問題や社会問題、環境問題などが国際会議などで話し合われ、日本から海外への情報発信も必要とされるし、ビジネスでは日本の企業でいえば、日本の市場が縮小していく中、利益を追求するために海外の市場を求めて、海外進出をする。
英語を使ってこなかった我々は、社会人になったらいきなり英語ができることを求められてしまうのだ。
そして大体の人たちは、英語を使わなければならないこの状況を素直には受け入れられないままでいるのだが、会社は「TOEICの点数を上げろ」だの、「英語学校に通え」だの、英語ができるわけでもない人にいきなり駐在をさせたりするのである。断ることもできないので、かなり後ろ向きなモチベーションで身体に鞭をうって英語の勉強を始めるのである。
よくこんなことを言う人がいる。「英語なんかできなくてもハートやジェスチャーを使えば良い。熱い思いをもっていれば英語ができなくても、相手に伝わる」
完全否定はしないのだが(というか90%否定したいが)、この発言は、英語ができない人たちが、自分が英語をできないことを正当化し、自己を肯定したいだけなのである。
だから完全に真に受けてしまうと大変な事になる。
気合いやジェスチャーだけで、複雑で意見が対立し合う国際問題が解決するなんてことは絶対にないし、ビジネスで言えば、例えば、大事な契約内容(雇用契約や売買契約など)を相手と詰められっこない。
筆者が思うに、「英語なんかできなくてもハートやジェスチャーを使えば良い。熱い思いをもっていれば英語ができなくても、相手に伝わる」なんてこと言うのはかっこ悪いので、寧ろ「英語を頑張ってみたけど向いてないと思うならば、誰かできる人に任せればいい。その分相手に何を伝えたいかの内容をしっかり考えておくべきだ」と言って欲しい。
かっこ悪いので、英語が出来なくても言い訳はする必要はないのである。
コンプレックスを抱え過ぎである。
それでも一生懸命英語を勉強する姿勢はとても大切な事だと思う。
難しければ諦めればいい。
筆者は「自分の言葉で相手に伝えたい」と思って英語学習にチャレンジする人を応援したいと思う。