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スピードラーニング英語版 第19巻 P.4 A TRIP TO BOSTON(ボストン旅行)

日本語書き起こし

ナレーター
小野さん夫妻は、旧友のビリー・リード氏に会うためにボストンを訪れます。

リード氏
やあ、肇。ボストンへようこそ。
元気にしてた?

小野氏
おかげさまで。また会えるなんて本当にうれしいな、ビリー。

リード氏
道は混んでた?

小野氏
悪くなかったよ。ちょっと渋滞したところはあったけどね。
ニューヨークから約5時間で着いたよ。
妻の良子です。
良子、こちらビリー・リードさん。

小野夫人
初めまして、ビリー。
主人からよくお話は聞いています。

リード氏
悪い話じゃないといいけど!

小野夫人
あらとんでもない!
主人は大学時代1ヶ月間、ボストンであなたと一緒に暮らしていたころのこと、すごくうれしそうに話すんですよ。

小野氏
そう。ビリーは自分の祖先がピューリタンだったことを、あの当時よく自慢してたね。

リード氏
ピューリタンというのは、キリスト教の一派で、簡素な生活様式を貫き、厳格な道徳意識をもった人たちのことなんですが、
歴史的にいうと、形だけの宗教慣習に不満だったイギリス人を指しますね。
17世紀にピューリタンは信仰の自由を求めてイギリスを去り、ニューイングランド地方に移住したんです。

小野夫人
ピューリタンというのは、メイフラワー号という船に乗ってアメリカにやってきた人たちでしょう?

小野氏
ほう、君も少しはアメリカの歴史を知っているんだね。

小野夫人
まあ、失礼ね。歴史は得意だったのよ。
でも、植民地時代のアメリカについては、そんなに詳しくないの。

小野夫人
ほとんどの日本人はアメリカの歴史を少し知っているけど、よく理解している人はあまりいないね。

リード氏
自分たちの歴史を完全に理解しているアメリカ人だって、そうはたくさんいないよ!

小野氏
でも、ビリー、君は本当によく知ってるねぇ。
僕は君からのアメリカの歴史をよく教わったよ。
良子にも少し教えてくれるといいんだけど。

小野夫人
アメリカの植民地がどんなふうに始まったのか、ぜひもっと伺いたいわ。

リード氏
そうだねぇ、メイフラワーに関しては、あなたのおっしゃるとおりです。
1620年にメイフラワー号はボストンの南東30マイル(約50km)のプリマスという港に着きます。
間もなくして、さらにピューリタンと、その他の植民地開拓者がマサチューセッツ湾植民地に着きます。
1630年にピューリタンはボストンも築き、そのボストンは間もなく重要な港に発展していくんです。

小野氏
それに、ボストンは、アメリカで最も権威のあるいくつかの大学の発祥地でもあるんだよ。
ハーバード大学も含めてね。
17世紀のハーバードの教育目標は、ピューリタン会社のために牧師を育てることだったんだよ。

小野夫人
ということは、ハーバード大学ってアメリカの独立前からあったということ?

リード氏
そうですよ。アメリカ最古の大学で1636年創立です。

小野夫人
まあ、知りませんでした。

リード氏
さて、二人ともお疲れのようだな。
休んだ方がいいでしょう。明日はボストンを案内しますから。
ゲストの寝室は、廊下の突き当たり右側です。

小野夫人
わかりました。バスルームはどこですか?

リード氏
左手、一つ目のドアです。
もし何か必要でしたら言ってください。

小野氏
ありがとう。じゃ、おやすみ。

リード氏
おやすみ。

ナレーター
リード氏と小野夫妻は、ボストンのダウンタウンにあるオープンカフェで朝食をすませます。

小野夫人
この辺りは、素敵なところですね。
このショッピング街は何という名前ですか?

リード氏
ファニュアル・ホール・マーケットプレイスといいます。

小野夫人
このオープンカフェやかわいいお店、すごく気に入ったわ。
すごく、古風な感じがして。

リード氏
そりゃ、ボストンはアメリカで最も古い町の一つですからね。
古い赤レンガの建物や石畳なんかがまだ残ってて、
ボストンの一部は、古いイギリスの街並みに似ていますね。

小野氏
この辺りは、確かにイギリスの雰囲気があるね。

小野夫人
あらそういえば、イギリスのほかには、初期の植民地開拓者はどこから来たんですか?

リード氏
アメリカ大陸と貿易をするために、ヨーロッパのいくつかの国が植民地をつくりました。
最初に、スペイン人とポルトガル人が新世界を探検したんですが、
彼らのほとんどは主に中南米に落ち着いたんですよ。
イギリス、フランス、それからオランダ人が、最初に北米に移住したヨーロッパ人になりますね。

小野氏
今のニューヨーク市はオランダ人がアメリカの先住民から買い取ったもので、
初めはニューアムステルダムって名前だったんだよ。
何でも24ドル相当のビーズ、ナイフ、鉄砲なんかと交換に、ある部族から買ったらしいね。

リード氏
そういうことになってるんだけど、
いくらの取引が行われたか、実際のところは誰も知らないんですよ。
それに、オランダ人にマンハッタンを売った先住民は土地の所有者じゃなくて、
別の部族がそこに住んでいたんです。
それどころか、アメリカ先住民には土地所有の概念がなかったんだから、
ニューヨーク最初の不動産取引は、ペテンだったってわけ!

小野夫人
面白い話だけど、歴史の多くは不正行為でいっぱいなのね。
それで、イギリス人はどうやってニューヨークを獲得したんですか?

リード氏
イギリス人は17世紀中ごろ、ニューアムステルダムを征服して、ニューヨークという名前に変えたんです。
イギリスは、ニューヨークやボストンなどの植民地を守るため、フランスと何度も戦争をしました。
イギリスはその戦争に勝ちますが、ずいぶんと出費がかさんでしまいます。
そこで、イギリス政府は戦費を賄うために、植民地にありとあらゆる税金をかけます。

小野氏
その税金が植民地開拓者の強い不満をかき立ててしまう、そうだよね?

リード氏
そう。重税は、独立運動につながる一つの要因でしたね。
1768年に秩序を維持するために、イギリス兵がボストンに送られます。
1770年に至っては、イギリス兵とボストン市民の衝突があります。
ボストン虐殺事件といわれていますが、市民5人が殺害されています。
これが、アメリカ革命に至る最初の流血事件だったわけです。

小野氏
ボストンには、植民地時代や独立戦争の史跡がたくさん残っているんだよ。

リード氏
そのとおり。
ここのあとは、フリーダム・トレイル沿いを散歩しましょう。
ボストン虐殺事件を含めたボストン中の史跡をたどる道のことです。
歩いてもそんなに長くありません、せいぜい3マイル(5km)くらいです。
ボストン・ティー・パーティーが起こった船を見に行ってもいいですね。

小野夫人
あら、それも少し聞いたことがあるわ。
アメリカ先住民のように扮装した人たちが、
お茶を船から投げ捨てたんですよね。

リード氏
そうです。でも、彼らが植民地開拓者だということは皆知っていましたから。
1773年、イギリスは植民地の自由貿易を規制して、東インド会社にお茶の輸入独占権を与えます。
それがきっかけで、怒ったアメリカ開拓者はモホーク族に紛争して、イギリス商船に乗り込んだんです。
彼らは、340個もの茶箱を港に投げ捨てたんですよ。
さて、朝食もすんだし、そろそろフリーダム・トレイルへ行きましょうか?

小野夫人
ええ、じゃ行きましょう。

ナレーター
ボストン見学をしたあとに、リード氏は小野夫妻をマサチューセッツ州のレキシントンへと車で案内します。

小野夫人
まあ、何てきれいな田園風景!

小野氏
そうだね。

リード氏
ここが、ノースブリッジです。
1775年にここで、アメリカとイギリスが衝突して革命戦争の口火が切られたんです。
1782年にはほとんどの戦いが終って、
イギリスとアメリカは1783年に和平を結びます。

小野夫人
ちょっと待って。アメリカの独立は1776年って習ったわ。

小野氏
それは、独立宣言に調印された年だよ。

小野夫人
なるほど。独立宣言で戦いが終わったわけじゃなかったのね。

リード氏
そのとおり。
そして植民地軍総司令官だったジョージ・ワシントンは、後に初代大統領になります。

小野夫人
じゃあ、アメリカの初代大統領は軍人だったんですか。

リード氏
ワシントンは軍隊を指揮しましたが、職業軍人ではありませんでした。
ワシントンは裕福な貴族で、農園と黒人奴隷まで所有していたんです。
独立宣言は、トーマス・ゼファーソンら建国の父が起草したものです。
ジェファーソンは、後に第三代大統領になります。
冒頭の部分は特に有名ですよ。
わが国の基本精神として、自由と平等が歌われています。
「すべての人は創造主によって平等に造られ、奪われることのない一定の権利が与えられている。その権利とは生存、自由、そして幸福の追求である。これが自明であるとわれわれは信ずる。」
でも、トーマス・ジェファーソンも奴隷を所有していたんだから、
平等はすべてのアメリカ人に与えられてきたわけではないということですね。

小野氏
じゃあ、平等っていったい何なんだろう?

リード氏
法の下では何人といえども平等であるという思想だよ。
その当時、アフリカ系アメリカ人は平等とはみなされていなかったんだ。
アメリカ建国の父も、やはりその時代の人物だったんだね。

小野夫人
なるほど。ジェファーソンは、創造主という言葉を使ってますね。
それは、神のことですか?

リード氏
ええ、建国者の大部分はプロテスタントでしたから。
彼らは敬虔な信者でしたが、宗教と政治は別に考えることを望んでいました。

小野夫人
私の持っているアメリカのイメージは、宗教の理念とは無縁の社会だわ。

リード氏
確かに一部のアメリカ、特に都会はそのような印象を与えるかもしれません。
でも、田舎にはかなり保守的なところが多いんですよ。
田舎や南部には、キリスト教の価値観が強く根付いている人が多いですね。
彼らは政治にとても熱心で、その価値観が選挙の結果に影響することも少なくありません。

小野夫人
じゃあ、宗教は政治と完全に分離してないってことですね?

リード氏
個人の信仰がどう投票するかを左右するんですから、そういう意味では、おっしゃるとおりです。
アメリカのドル紙幣には「私は神を信じる」という言葉が印刷されていますし。
大統領は、就任式で必ず聖書に手を置いて宣誓します。
とはいうものの、われわれの憲法は自由を守る一方、宗教の政治への関与を制限しているんです。

小野氏
ビリー、アメリカでいう自由って何なのかなぁ。

リード氏
基本的には、個人の解放ってことだね。
でも、人それぞれ自由の定義は違うだろうね。

小野氏
どういうこと?

リード氏
たいていのアメリカ人は、他人に危害を加えない限り、個人の自由は制限されるべきじゃないと思っている。
でも何が有害かという定義は人によって違う。
中絶なんかはすごくいい例だね。
ある人は中絶を女性の権利であると考え、
ある人は殺人だと言う。
でも、この論争の双方に自分の意見を主張する自由があるという点では、皆、賛成なんだ。
アメリカの法律は、言論の自由を保護している。
この概念はアメリカ政府の創始者にとって、とても重要だったんだ。

小野氏
自由と平等の概念は最も大切だと思うな。

リード氏
君とは違って、ほとんどの人は根底に流れる考え方を理解せず、うわべだけしか見ていない。
深い意味を把握すれば、アメリカの歴史への理解が深まるよ。

小野夫人
歴史講座ありがとうございます、ビリー。

リード氏
どういたしまして。
さあ、もっと観光名所を見て回りましょう!

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