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連載第一回・江戸元禄期大堀相馬焼復刻までのあゆみ

みなさん、こんにちは。

縁器屋の佐々木です。


以前noteでご紹介しました、江戸元禄期 大堀相馬焼。

300年前の土瓶を復刻したこのプロジェクト、商品が完成するまでには色々な歩みがありました。

今日から全8回でその歩みをご紹介しようと思います。

週に1〜2回更新しますので、ぜひご覧ください。


では、さっそく第一回目。


300年前の大堀相馬焼との出会い

2011年の東日本大震災によって、福島県浪江町にあった大堀相馬焼の窯元たちは非難を余儀なくされました。松永窯もそのひとつ。

縁器屋の代表であり、松永窯の4代目でもある松永は移転先である福島県西郷村で300年前の大堀相馬焼と出会いました。

西郷村の窯の近くにある、「まほろん」にて期間限定で「発掘された大堀相馬焼」という展示会が行われていました。その展示では大堀相馬焼の始まりから現在までの歴史や、時代ごとにどのようなデザインで焼かれていたかなど丁寧に説明されていたのです。

それまで松永は、大堀相馬焼といえば「青ひび」「馬の絵」「二重焼き」があってこそと信じていました。

しかし、その展示で目にした大堀相馬焼はまったく違ったものだったのです。


その色は白や青、シンプルでとても美しい形でした。

「こんなものが元禄時代に作られたものなのか」と驚いた松永。

元禄時代の職人の技術の高さ、創造性の豊かさに強く感銘を受け、尊敬の念を感じたそうです。

そして、先人たちの知恵や努力の結晶である元禄期の大堀相馬焼を一人でも多くの方に知っていただくべく、現代でも広く世の中に広めようと決意しました。



元禄時代の大堀相馬焼

元禄時代は文化隆盛の時代と言われ、武断政治から文治政治に移行して行く中で、町人が台頭し上方(大阪・京都)を中心に陶芸や絵画がなどが発達しました。

また、その文化的豊かさで自由闊達な表現へと発展していきます。

それが東北にも波及し大堀相馬焼がはじまり、東北にも陶磁器文化根付くようになりました。


第一回目はここまで。

次回から、この元禄時代の大堀相馬焼を復刻するためにどんなことがあったのかをお届けします。


ぜひお楽しみにしてくださいね♪


現代に蘇った江戸元禄期大堀相馬焼はこちら


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