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ボーカロイド曲をカバーするということ

とっても久しぶりの更新になりました!!!

2024/08/03
しゃいとさんの「白ノ嵐」という曲のカバー動画を投稿しました。


この作品を作るにあたって、色々なことを考え、悩みました。

今回は独り言というか、備忘録というか……
「伝えたいこと」というよりは、自論を書き留めておく、という感じです。

この先は「自論」であり、一個人の想像、解釈です。
あなたにはあなたの考えがあっていいと思います。ラフに、気軽に読んでくださると嬉しいです。




VOCALOIDのための、VOCALOID曲

今回、このカバーを通して、
ボーカロイドの文化というもの、それをカバーするということ
今の活動や立場を、改めて見直しました。


「白ノ嵐」。この曲は、
可不オリジナル楽曲コンテスト「入賞」となった楽曲です。
私は、この曲は ”可不ちゃんのための曲” だと解釈しています。

"VOCALOIDのための楽曲" というのは、数多く存在すると思います。
例えば、「初音ミクの消失」「ODDS & ENDS」など…
VOCALOIDのキャラクター、シンガーが歌うために作られた曲。
彼らが歌うから意味がある曲。
それを人間が歌うことは、必ずしも正解ではないと私は思います。

好きだから歌う。大切だから歌う。
大事な動機であり、表現だと思いますが、「原作」があるからこそ成り立っているのだから、原作を尊重すべきです。
以前の記事でも触れましたが、我々は二次創作者であるからこそ、オリジナルを尊重しなければならない。それがポリシーです。

「白ノ嵐」は、その ”VOCALOIDのための曲” と解釈したということです。

※補足
厳密に言えば、可不はVOCALOIDではないのですが、広義のVOCALOIDとしてとらえています。
可不を含め、他にも「正確にはVOCALOIDではない」という存在がたくさん生まれました。
ただ、AIが利用されていようと、実際の人物がモデルだろうと、
VOCALOIDの文化の中で生まれ、歌い、愛されているキャラクター・シンガーなのだから、私は広義のVOCALOIDとして考えています。


だからこそ、人間である自分がカバーすることは、この曲に在り方に反する、二次創作として良くない行為なのではないか、と考えたわけです。



「歌」について

実は、ここから投稿に踏み切った明確な理由は特になく…
寧ろ「二次創作として、原作へのリスペクトをできるだけ作品に残すにはどうすればよいか」というのが今回の思考のベースでした。

とは言え、大したことはしていないのですが…

自分がカバーをするとき、
原作は勿論ですが、歌い手やシンガーの方々のカバーを参考にします。自分の解釈が軸にはなりますが、そこに囚われすぎないためです。
同じフレーズでも、同じ言葉でも、人の数だけ解釈があると思います。
その解釈を少しだけ覗きに行って、勉強させてもらう、というわけです。


ただ、「白ノ嵐」はそもそもカバー動画が無かったというのもありますが、原作以外は基本的に聴きませんでした。
(音MADなどの二次創作の動画は存在します。)

初めて聴いた時の「良い!」と思った感情に基づいて、できるだけ外からのバイアスを受けず、原作から受け取ったもので作ろう、と思いました。

また、ボカロかどうかは関係なく、シンプルにロック曲を歌う時、自分はどう歌うだろう、と、感情を入れすぎず、癖をつけすぎず…といった
自分が捉えた曲の形を想像しながら、歌い方を考えました。



「映像」について

イラストはおなじみになりつつある、ふじもさんに描いていただきました。

動画は自作ですが、大した技術はないので、シンプルなものになることは制作前から想定していました。
その中でも、原作の動画から、ここは入れたい、参考にしたい、という部分は再現しました。

本家動画では、青と黒と白が基調となった、"可不ちゃんカラー" という感じのカラーリングになっています。
二次創作として、自分の作品にするにあたり、マイクのケーブルを赤色にして、赤が目立つようなイラストをお願いしました。
また、動画でもほとんどは赤色で歌詞を表示しており、全体的に原作で青色の部分を赤色にすることにしました。

ただ、その中で原作への想い、可不ちゃんへの想いなど
「忘れないために」、要所要所で歌詞を青色や白色にしています。


自分がやれること

些細でシンプルですが、言えること、そしてやれたことはこれくらいです。

受け取り手が初見でどう認識するか、ということはあまり考えていません。世の中には、歌い手文化が好きではない人もいますし、そもそもVOCALOIDが歌唱している本家しか聴かないという人もいます。
逆に原曲をほとんど聴かず、カバーばかりを聴くという人もいるでしょう。

人の数だけ解釈があり、世界がある。
だからこそ、そこに介入できるとは思いません。
寧ろ、自分へ言い聞かせるため、そして自分が忘れないためです。

万が一、誰かに伝える(伝わる)のだとすれば、
「槐世夕」或いは「たそがれ色は延々と」を知ろうとしてくれた人に、この気持ちが「いいな」と思ってもらえたら嬉しいです。



余談

「白ノ嵐」は、記憶が正しければ、しゃいとさんとの出会いの曲です。
初めて聴いた曲、だと思います。
正直、何曲か心当たりがあるのですが、どれが「一番最初に聴いた曲」なのかは覚えていません。
ただ、きっかけの一つであることは確かです。

他にも、ボカコレを楽しむようになったり、曲だけではなくボカロPさんにフォーカスしてボカロ曲を聴くようになったり、
しゃいとさんはそういった新たな切り口となった人です。

色々と思い入れがある曲であり、ボカロPさんです。


そういう人が、曲が、音楽が、創作が、アートが……自分の中にはたくさんあります。
そんな、自分にとって「ちょっと特別」な、全ての人・モノと関わっていきたい。そして、何かしらの形で皆さんに届けたい。

夢物語の、序章にも満たないたったひとかけらですが
一つずつ集めて、いつか理想の形を作れるように、まだまだがんばります。

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