モータースポーツがくれたもの

こんにちは、こんばんは。次回のMOT(車検)に愛車が通るのか心配なころごろなコージです。特に何か壊れてるわけではないけど、年が年(もう20年選手)なので錆がひどいんですよね。イギリスの場合、冬にかなり塩を道路に撒くので車を下からのぞくのは怖くなります。ちなみに、友達から格安で譲ってもらいました。イギリスの自動車事情もそのうち書こうかとは思いますが、基本的に車は安いです。購入も維持も。

ふとNoteを開いてみたら、"Panasonicとnoteで、「#スポーツがくれたもの 」というテーマの投稿コンテストを開催します。"とのこのなので、流れにのって僕がモータースポーツからもらった物って何かなと思い、いそいそと書いています。初めて、題名と中身の一致する記事。(たぶん)

モータースポーツとの出会い

元々、父は世代が世代なのでモータースポーツが好きな人でした。シューマッハ全盛期に夜な夜な晩酌しながらよくF1を見ていたことも覚えています。しかし、僕がモータースポーツに興味を持つようなるのはだいぶ後の事。当時(小学生、低学年とかだったかな?)は、よく言われるように"同じところをぐるぐる回ってるのをみて何が楽しいだ??"という感想を抱いたことも覚えています。それでも、幼いころはモーターショーなどに連れ回されたことはかなりあるようで昔の写真にはそういった車と映ってる写真がそれなりにあったります。種は撒かれていたのでしょう、記憶は無いですが。

車に興味を持つようになったきっかけは鮮明に覚えていて、それは高校2年の春休みに実家でごろごろしながらYoutubeを見てる時でした。真っ赤なF40とF360が滑走路のようなところを並んで走っている動画が流れてきて、「あ、車ってかっこいいな!!!」と突然思ったのです。(記憶と一致する動画あるかなと軽くYoutubeを調べてみましたが、見つからず。これじゃない?ってのあったら教えてください。)意外に思われるかもしれないですが、僕のきっかけはそんなことだったりました。ちなみに、この話を某メルセデスF1の日本人エンジニアの方にした時は、趣味が悪いなと一蹴されました。(マジ

それから、当時高校生の僕はお小遣いで車の雑誌を買えるだけ買って読み漁っていました。そうこうしてるうちに、一応なんちゃって理系してたこともあってか、だんだんと中身を知りたくなっていきました。それから、一番最初に勉強(勉強とは思っては無いですが)したのはエンジンについてでした。エンジンって、なんやかんや車の花形ですよね、内燃機関は無くなりつつありますけど。でも、うるさい車は嫌いです、割と。当時は勉強といっても、それこそ、オクタン価の意味とか、理想条件下での圧縮比とか、エネルギー密度とか2スト、4ストの違いとか、そういう浅い知識でしかないですけど、最初はそんなもんですよね。そういったことを高校時代の学級日誌?に書いたことも覚えています。そうこうしているうちに、この世にモータースポーツの存在、さらには"職種"の存在を知り、面白そうだなと思ったのです。

ちなみに、高校時代は不真面目な生徒というほどでもなかったとは思いますが、勉強が出来ていた生徒ではなかったですね。割と学年の最下位をあたりをうろうろしてました、ずっと。それが、車が好きになったからと言って特に変わることもなかったですね。なまけ癖というのは、今も抜けません。今思えば、勉強が嫌いで車に逃げていたのかなとも思ったり。

それでも、まあ、なんやかんやイギリスで仕事してることからもわかるように、変なところで行動力というか、割と突拍子もないことをしたりするんです。高校2年のある日、父と兄と車で出掛けている時に(どこに向かってたのか、どこかから帰ってくる途中だったのかも覚えてないですが)、父とモータースポーツの話をしていたのでしょう、何故かその時の流れで御殿場にある某レーシングコンストラクターに電話をすることになります。サービスエリアかコンビニかすらも覚えてないですが車が止まった時に、父の携帯を借り電話を掛けたのです。何を話したかも鮮明には覚えてないですが、端的に言えばモータースポーツの世界というものを全く知らないので、現場を見せてほしい旨とモータースポーツをやるなら日本では大学はどこに行くのが良いかということを聞いたように記憶しています。今思えば、迷惑極まりない行為だったことでしょう。でも、この時の行動が10年後、そして今の僕を直接的に大きく変えるきっかけになります。しかし、日本の大学を聞いているように当時の僕には留学という考えは全くありませんでした。親戚や友達周りにも誰一人、海外に住んでいるどころか留学経験があるという人すらいなかったので、外に出るという考えが僕の中にはありませんでした。

ちなみに、行動力と発言してますが、僕自身、自分が行動力のある人間だと思ったことは一度もないです。そう思う理由はまた別のブログ記事で語られることになると思いますが、偉そうにブログで語っておきながらわりとのらりくらりと生きてきた人生なので。

歯切れは悪いですが、現在に至るまでの話を書くと長くなってしまうので、今回はこの辺にしておきます。また、続きはそのうち書きますがモータースポーツとの出会いは割と唐突に漠然と起こったのでした。

モータースポーツがくれたもの

さて、ここからが本題です。前振りが長くなってすみません。箸休めのうちの猫でも載せておきます。こっちは腰を抜かした方ではないです。シャワーに入れたら全力で脱走を試みて、僕自身に身の危険を感じるほどだったのでシャンプーするのは諦めました。

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モータースポーツがくれたもの。夢、仕事、友達、仲間。

もっと簡潔にまとめれば、今の生活でしょうか。

最初に断っておくと、今の自分の生活は幸せです。仕事にしろ、私生活にしろ人間だから小さい不満はあるにしろ大きく見れば完全に満足とは言わないけれど、幸せだなと思っています。衣食住に困らず、好きな事を仕事にして。

まず、夢。夢ってなんでしょうか。寝てる時にも、見ますよね夢。寝てる時の夢と将来の夢。全く別なのに、ひとくくりに夢と括られるのはその儚さゆえでしょうか。儚さにも「夢」の字がありますね。

昔、僕はもともと夢とかなんで抱かなきゃいけないんだっていうように思っていた生徒でした。スレてますね、中二病の延長的なものでしょう。よくありますよね、教師や親といった大人たちに漠然と「夢を持て」って、言われるの。昔はその意味が分からないからその言葉自体割と好きではなかったし、なんなら今はもっと好きじゃないです。すごくネガティブに聞こえるけれども、夢を持つことを子供に期待する大人の夢ってなんだったんでしょうか。子供に夢を持つ大切さを語ることが夢だったんかな。

いや、まあわかります。子供に夢を持つことを期待する大人の気持ちはすごくわかりますよ。僕も、なんやかんや30手前になり、自分の将来の選択肢が狭まってくればくるほど、小さな子供達の無限の可能性というものにはすごく魅力を感じるので。まあ、選択肢が狭まってると思うのは視野が狭まっているだけかもしれないけれど。

でも、いわゆる将来の大きな夢を持つっていうことの負というか、大変な面ってあんまり語られることがないような気がするんですよね。夢を持つからこそ生まれるプレッシャーや葛藤、挫折、そういった経験は間違いなく人生の糧にはなるでしょう。でも、それが生きていく為に本当に必要なものなのかは疑問です。

現代の日本人は野望が無いとか競争心が足りないとか、よく言われる気がしますがそれは社会が成熟している証拠なんじゃないかと僕は勝手に思ってます。それこそ、狩猟から農耕になり、文明が発展していく中で種の繁栄のために求めたものは安定ですよね。高校、大学を出て、会社に就職して、家族を持って、安定した生活を送る事が極端に難しくない日本社会っていうのは世界的に見ればすごいことなんじゃないでしょうか。知らんけど。

まあ、何が言いたいかというと夢や野望を持たなくていいというのはそれはそれで贅沢な環境にいるということです。決して、持つなとか言ってるわけではありません。ただ、夢があるから偉いとかそうは思わないという個人的な話です。そもそも、人間が生きている事の意味をどこに見出すかとかいう話になってくるとは思いますけど。そういう、話もまた長くなるのそのうち別記事で。ちなみに僕の最終的な夢というのは、「幸せな家庭を築く」です。

なんか、ひたすら個人的な思想みたいなことを語ってしまいましたが、モータースポーツが僕にくれた夢は「自分の車を作る」でした。まだまだ、業界歴が長いわけでもないですけれど、昔から思っていることです。「これ、僕が作ったんだよね」って言える車を一台、持つことが夢ですね。車が高級品から一般庶民が使う大衆車になるにつれ、段々と工業製品化が進み、さらに現代では分業化が進んでいく中でなかなか難しいですが、まだチャンスはあるかなと思ってます。


これでもだいぶ内容を省いて書いてるつもりなのですが、かなり冗長になってしまったので、今回はこれくらいにしておきます。もう少し、内容を細かく分けた方がいいですね。結局、題名と本文は半分も一致してない内容になってしまった。。。いつも、題名から書き始めるので大体、不一致が起きます。

この流れで行くと次回は、仕事についてになるでしょう。また、気が向いたら書こうと思います。


ではでは。

はっぴーいーすたー


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