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人生はアメ喰い競争?
人生のアメとは?
先日、友人とお茶をしている時、友人が「自分の守護霊はムチばかりでアメをくれない」と言いました。
友人にとってのアメは、友人にとっての「何かいいこと」を指しているのでしょう。
では、「私にとってのアメは何だろう?」というか…
「人生のアメとは、何だろう?」と考えていたら、ふと「私たちはアメを手にするために生きているのかもしれない」と思いました。
アメ喰い競争開始!
私たちのオギャーという産声は、スターターピストルの合図の音だとしたら…
産声をあげてスタートをした以上、自分のレーンを前に向かって走り始めなければなりません。何の障害物もない真っ直ぐで平坦な道を進むことができれば良いのですが、所々に待ち受けているアメの入った台。それを避けてレーンを進むことはできないので、必死になって、粉まみれになりながらアメを探します。
誰も見ていないし…手を使って取ってしまおうかな?という誘惑の声と闘いながら、一生懸命にアメを探すのです。
後からやってきたのに、サッとアメを見つけて取っていく人を羨ましく思いながら、見つけることのできない自分に対して、焦ったり、情けなく思ったり、イラついたり…
時には、「きちんとアメを入れている?」と周りの人たちや神様のせいにしてみたり…
やっと見つけることができたと思ったら、それは自分が思っていたような甘いアメではなく、がっかりする。
でもまだ、レースは続いています。がっかりしている暇はありません。再び走り始めなければ…
必要な味だって…
神様からのご褒美の甘いアメを口にすることができたらラッキー!でもそんなに神様は甘くない。かなりの確率で、しょっぱかったり、すっぱかったり、苦かったり…時には火を噴いてしまうくらい辛いアメの場合もある。
当然、涙も出ます。
私たち人間からすると、しょっぱかったり、すっぱかったり、苦かったり…
辛いアメなんて以ての外。甘いアメ以外は、欲しくないのです。でも、魂の学びという観点からすると、必要な味(経験)なので、用意されているのでしょう。そうなのかもしれませんが…一生懸命に探して口にしたアメなのですから、やっぱり甘いほうがいいです。それが本音というものです。
レース展開を分析してみる
全ての台をクリアーしてゴールテープを切ったとき、自分のレース展開を見て、何を思うのでしょうか。よくやったと自分を褒めるのでしょうか。はたまた、ものすごく反省をするのでしょうか。
これは、ゴールをしてみなければわかりませんね。
今、私は自分のレーンを走っている最中です。
目の前に台が現れたら、仕方がないので、粉まみれになりながらアメを必死になって探します。
もし、私のレースを見て、誰かが実況中継をしているとしたら、どのような実況がなされているのでしょう。
「お~っと」と絶叫されているのでしょうか。
レースを終えて
レースを終えたとき、顔に真っ白な粉を付けて、周りの人たちも自分も笑っている。そんなレースができたらいいなぁ。
人生は「アメ喰い競争」
甘いアメばかりではないかもしれませんが、ゴールテープを切るその時まで、甘いアメを探して奮闘中…というところでしょうか。