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バイセクシュアル?そもそも”好き”ってなんだ

分類上、私はバイセクシュアルということになっている。

でも生まれた時から明確に自分はそう!と思っていた訳ではもちろんなく、あるきっかけがあってそう思うに至った、という感じ。

このnoteで軽く人生を振り返ってみて、今思うことを言葉にしたいと思う。


憧れの人遍歴

一番最初に女性に心惹かれたのは小学生の時か中学生の時かちょっと判断に困る。出だしからそんなんで大丈夫かとツっこまれそうだけど、小学生のときに好きだった先生はなんたって定年間近のおばあちゃん先生だったのだから、恋というよりは肉親の情だったような気がする。あるいは、おばあちゃんっ子学校バージョンみたいな。

なので、女性への初恋は中学生のときで、相手は先生だった。当時の私は周囲の友人もドン引きするか面白がるか巻き込まれるかするほどのストーカーっぷりで、用もないのに職員室に行ってみたり、廊下をうろついて出会えないか期待したり、流れ星に願いを込めたりしていた。今客観的に見ても気持ち悪い。面白がっていた友人たちは本当に心が広いと思う。

でも一応弁明しておくと、私のストーカー行為は先生にも筒抜けだった。ドストレートに気持ちも伝えていたし、先生的には「好きって言ってるくせに正面からやってこずにいつまでもストーカーしてくるやつ」ポジションだった(どんなポジション)。

読んでくださった方が引きすぎて離れていったら悲しいのでこの辺から真面目な筆致で書くと、今でも、この当時の入れ込み具合や、日々の一喜一憂、別れの辛さを思うと、どれほど自分が真剣だったかに思い至る。恋愛感情というものが何を指すのかは後にしても、思いの強さは本物だった。

海外でのあるきっかけ

大学3年生の海外留学先で出会いがあった。

いつものパターンで惹かれているなと思った。対面して、ちょっと話をするうちに気づいたら引き込まれる感じ。中性的でボーイッシュ(という表現もあまり適切じゃないかもしれないけど)な人にめっぽう弱いのだが国籍も関係ないらしい。

普通に友達だったのだけれど、留学は特に時間の有限性がある。価値観も随分変わるし将来のこともたくさん考える(留学して価値観のパラダイムシフトが起こった話はまた別記事で)。ただでさえ自身がぐらぐらしていたとき、彼女の帰国が重なった。それから少しして、彼女が休暇で戻ってきたとき、雷に打たれたように唐突に”これは恋心で自分はバイセクシュアルだ”という考えが降ってきた。打ち明けられた周りもそりゃ驚いただろうけど、自分が一番びっくりしましたよ。でも一度そう思うとなんだかすっとして、「ああ、人生でこれまでずっともやもやしていた気持ちはこれだったのか」と。

別に学生時代自分のセクシュアリティで困ったことはないし、叶わぬ恋に思い悩んでということもなかった。あっても異性に対して。というのもお付き合い経験そのものが一度しかなく、相手も異性なので、バイセクシュアルで悩むタイミングが無かったというか。

LGBTQ、難し。人によって千差万別。

それでもすっきりした気持ちになったのは、ずっと自分の気持ちがなんなのかわからないでいたから。

でも好きってなに?

そう、でも疑問がある。好きってなに?恋愛感情ってなに?

例えば中学校の先生を”好き”だった時、私は”恋愛”自体ほとんどしたことがなかった。ちなみに子どもはコウノトリが運んでくる神話を信じてるタイプでもあったから、付き合う行為の先に何があるのか全く知識がなかったし、となれば結婚の前提もよくわかっていなかった。

でも不思議なことに、私は”好き”だったのである。

好きだからどうしたかったかというと、ハグしたいなぁだとか、毎日顔を見られたらいいなとか、先生が元気で笑ってたらいいなとか、できれば一緒にいたいなぁとか…それだけ。学生と先生の関係だと卒業という時間制限があるから、一緒にいるための選択肢って家族になるくらいしか思いつかなくて、だから無意識下で結婚の2文字くらいはあったのかもしれないけど(実際先生がお付き合い中だと知ってショックだったし)、書いたように色々と無知だったので、その結婚はただ一緒に住んでて最期を看取るというような認識だったと思われる。

きっかけをくれた彼女に関しても、おそらく留学の時間制限が自分にとってプレッシャーだったんだろうと思う。もう会えなくなる→じゃあ一緒にいるためにはパートナーだ!という思考回路だったと思っている。

想像上のバイセクシュアルと現実的な話

やっぱり最初の数か月くらいは自分のなかでも大きなことだったので周りに打ち明けたりもしていたのだけれど(実は誰に話してて誰にまだ話してないかを忘れてしまった筆者)、多分、打ち明けられた周りは私が思う以上の受け止め方をしているんじゃないかと。

もし、異性愛がそのまま同性愛に適用されると思っているなら、私の場合は多分ちょっと違う。書いたように人によりけりだから、あくまで私個人の話にはなるけれど。

というか、”イメージしてる異性愛”と私の異性愛も多分違う。

友人に相談したときにちょうどこういう話になったのだけれど、必ずしも相手に身体的な何かを求めてないことってあるなぁと。私はこの友人が、相手に関わらずなんというか添い寝が好きだ、その行為そのものが安心してよく眠れると言っていたのにこのとき心の中ですごーーく共感していた。赤ちゃん本能だろうか。

私の場合この「添い寝がなんともいえず幸せなのよね~」が両性にあてはまる。添い寝自体は確かにこの子が言う通り、友達なら基本誰でもよく眠れそうだが、恋愛感情と呼べるものと結び付けて話すなら、この人と添い寝したい!という断固とした意志、だろうか。

添い寝添い寝言ってて、現実考えたらパートナーとは家庭を作ったりするんじゃないの?と言う向きもあると思う。

これに関しても、今や技術は発達していて、パートナーが誰だろうが一緒に子どもを育てることはできるようになっている。

セクシュアリティの話をするとき、言葉の響きから、カタカナの性にまつわる単語たちが連想されるから、身体的なことを想像して「えっ同性・・・??」と思う人がいるんだろうなと思う。でも、私にとってはどっちでもいい。あるのはただその人を”好き”だなぁというしみじみした愛情だけなのだ。

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