母の日
「これ以上、近所であなたの評判が悪くなってどうするの!! 」
普段は勝手口の鍵なんてかけないくせに夜11時、病院の駐車場で彼の車から降りて家に入ろうとすると勝手口のドアは開かなかった。引っ張って開くわけがないのに『ガチャガチャ』ドアノブを動かした。その音に目が覚めたのか母はドアの向こうで「これ以上、近所であなたの評判が悪くなってどうするの!! 」
母は2度、同じことを静かに言って寝室へと戻った。
私は表の玄関のドアの前に座ってクソババアとか死ねとか母に対してそんなよからぬ気持ちを握りしめていた。空なんて見上げなかった。ただ目の前に停めてあるハコバンの向こうの薄汚れたブロック塀を見ていた。まるで刑務所みたいだ、と思いながら。
当時、私が憧れていた雑貨屋の店員だった好加(よしか)さんは推しのバンドを追っかけて東京へと引っ越した。お店を辞めることを聞いた後、私はすぐに花屋に行ってかすみ草の花束を買って好加さんへ手渡した。
「ありがとね、これ、東京の住所だから」
好加さんが作った丸文字で書かれた名刺をもらって私は手紙を書いて封筒の表にその住所を書いた。
好加さんから届いた年賀状には、ハッピーニューイヤーの後に小さな文字で
──砂月(さつき)さん、とりあえず60万あったらひとり暮らしができるよ──
そう書かれていた。
私はその年の年末、貯まった60万を持って実家を出た。憧れの一人暮らしは築20年の家賃3万円の小さなマンションだった。目の前には10階建てのデザイナーズマンションが建っていて駐車場にはベンツやボルボの外車が停まっていた。車には詳しくなかったけれどそんな私でも名前を聞けばわかるような車ばかりが停まっていた。
実家を出てやっと自由になれた気がしていたけれど、自分が買い物をしなければ冷蔵庫の中は空っぽだとそんな当たり前のことに気づいたのはプリンがないことだった。
それでもまた当時はそんなことよりも何かが欲しかったのだと思う。
日々は、一人暮らしは雑誌で見るようにキラキラとはしていなかった。アルバイト先で出会ったフリーターの栗栖(くりす)君は、質屋にテレビを運んではまた給料が振り込まれたら、引き取りに行っている、そんな話を私にした後で
「結局、選ばれるべき人は最初から誰かが見てくれている道を歩いているんだと思いますよ」
と昔、芸能人事務所のスカウトからもらった名刺を私に見せてくれた。
「選ばれたのにいかなかったんだ? 」
「僕は多分、消える方の選ばれ方だから」
そんな栗栖君の彼女は白い日傘をさしてフリルのスカートをはいているようなお嬢様だった。
「お腹減ったな」
と冷蔵庫を開けてみたところで何ひとつ入っていなかった。私が買わなきゃ何も入っていないのは当たり前なのに、あの頃の私にとって食べることなんてどうでもよかった。眠る時間さえもひとりでいたくないほど自分を確実に好きでいてくれる人を探すことに必死になっていた。
「ねぇ? 砂月さん、ちゃんと食べてるる? 」
下腹がぽっこりと出ていて、時代遅れのようなケミカルジーンズに白シャツをインして着ていた主婦の高坂さんは頼んでもいないのに時々、私の部屋のドアを叩いてお弁当を持ってきた。その高坂さんの部屋には時々、旦那さんとは違う以前の同僚だったという男の人が出入りしていた。
私がお弁当箱を返そうと休みの日、ケーキ屋で販売されていた当時流行っていた瓶に入ったプリンを持って高坂さんの住むマンションを訪れた時、乗ろうとしたエレベーターから降りてきたのが彼で私は
「少しだけいい? 」
と腕を引っ張られた。
「君、市内出身じゃないよね? 県北とかの田舎から出てきたんでしょ? 」
「県北ではないけど、田舎です。もしかして、田舎者って馬鹿にしてますか? 」
「いいや、今から僕がいうことをよく覚えておいて、普通に見える人ほど怖いから」
どんな意味で、誰のことを、何があって、私にそう言ったのか、わかるまでに随分と時間がかかった。いや、正確には今もまだわかってはいないのだと思う。
弁当箱を返しに行ったのに、高坂さんは
「これ作ったから」
と玄関先でプリンが入った箱と引き換えに私にタッパに入れてアジの南蛮漬けとオクラの天ぷらを持たせてくれた。
買ったほうが早いのに、なんで料理なんて作るのだろう? 手に持ったタッパから漂ってくる家庭の匂いが苦手だった。
一人暮らしを始めてから何年経っても、私の冷蔵庫の中はからっぽだった。アルバイトから社員になった春、引っ越した新築のマンションでは料理をしないのだから、とガスコンロは買わなかった。食べることに興味はなかったから下腹が出ることもなかった。
ひとつひとつ手に掴む暇もなく、これと言って楽しみもなく、ただただ鰯の群れのように前だけを見ているふりを半目で生きてきたのだと思う。
出会いって別れて好きになっては嫌いが見えて、憎しみの中で罵倒しあい笑い笑われながらそれでもほんの先に立ったとき、振り返れば、その時々で気づかなかったことがあるのだと思う。
母が嫌いだった。
ヒステリックで乗り物に乗ることさえできず、世間体ばかりを気にして生きてる。
だけど、冷蔵庫にはいつもプリンがあった。母が食べるわけではない。自分が食べないものを無意識に買い物かごにいれる、そんな気持ちが愛しさだということを蔑ろにして生きてきた。
死ぬまでに気づけてよかったのだと思う。新商品のビールが出たとき、『これ美味しい』って耳に残る言葉が聞こえた時、ふっとそれを手にとってレジカゴの中にいれる。たまに買う3個入りのプリンもBIGサイズのプッチンプリンももう私が食べるものではなかった。そしてレジカゴの中のプリンを見ては、台所にたって作ったとは胸を張れないプリンの素を使って日曜日、気まぐれでプリンを作っていたことを思い出す。
立場が変われば、夕暮れ、どこかの台所から漂ってくる夕飯の匂いにさえ悪態がつきたくなる、身体を気遣ってくれる言葉でさえ、投げつけたくなる、自分ひとりがなんでこんな目に? と思ったことはひとつやふたつじゃなく、明日、それがまた待ち伏せているかもしれない。
「冷蔵庫の中にプリン買ってきてるから」
私が言う前に食べていた彼は今は何を食べてるだろうか?
母の日のプレゼントに──。
いつもはそんなに賑わうことのない雑貨のコーナーにはゴールデンウィーク、ひとりでプレゼントを選びに来る子供の姿があった。
「お母さんが喜んでくれるといいな」
500円玉を3つ握ってマグカップをレジに持ってきた女の子は私に言った。あなたがそうやって選んだようにお母さんは毎日レジカゴにあなたの喜ぶ顔を手にとっているのだよ……、そんな思いを込めて私はラッピングした箱にリボンのシールを貼った。
自分が買わなくても冷蔵庫の中にプリンがあった日々。
食べたいかな、と思ってプリンをレジカゴに入れた日々。
たまには、と料理を作りたい気分を味わいたくて母に頼んで買ってきてもらったプリンの素。
そのすべてが母から生まれてきた日々なのだとようやくに思えるようになった春、ひとりでも満たされていた。
「冷蔵庫の中を見たとき、ひとりにもどったと思ったんだよ」
思い出は抱きしめることもできないくせに冷蔵庫の中にあるプリンみたいに誰かに手にとられるのを今日も待っていた。