埃を払う
喫茶店のドアを開けると彼はすでに座っていた。
その店はいまだにスペースインベーダーのテーブルゲームを机に使っている、京都で少し有名な老舗の純喫茶だった。彼(S君とする)はバンドをやっている同い年の青年で、先日知り合ったばかりだったがweezerの話で盛り上がり、こうして喫茶店でゆっくり話をしようと約束をしたのだ。
S君は私が5分遅れたにもかかわらずコーヒーも頼まずに待っていた。私が席に着くと鞄からCDを出し「これ、この前作ったEPだから是非聞いてみて」と渡してくれた。
私は嬉しかったのだが、金を払わせてくれと言いかけたところで詰まってしまった。まだ彼の曲はYouTubeにある一曲しか聴けていない。ライブにも行ったことがない。友達だという理由だけで、差し出された中身も知らない創作物に無条件にお金を出そうとするのは、逆に無礼な気がしたのだ。
私はありがとうとだけ返し、わざとその場で歌詞カードを広げた。彼の書いた歌詞について質問を投げかけるとS君は丁寧に返してくれた。
歌詞カードを畳んで別の話題にうつると、逆に今度は彼が私に質問を投げかけてくる。素朴なものが多かったが、何かを掴もうと寄り添ってくれるような心地よさがあった。彼の話し方には少年のような無邪気さと、年相応の青年らしい清潔感が常にあったのだ。
二人で珈琲をすすりながら音楽の話をしているうちに、そろそろ場所を変えようかという話になり、そこからそう遠くない私の家に来てもらうことになった。
私の部屋は隙間風が絶えない和室で、60wの電球が一つ天井からぶら下がっているだけで常に仄暗い。S君は部屋に入ると隅にある私のエレキギターにすぐに反応した。私はなんだか親戚の子供が遊びにきた時のような明るさが部屋に差し込んだような気がした。
ほとんど所有欲で買ってしまった私の空色のギターを、彼にかついでみるように促した。彼は照れ臭そうに遠慮しながらもストラップに首をくぐらせた。
様になっていると思った。
「すごいいい色だよこれ」はしゃぐ彼はそのギターの持ち主のように見えた。いいよねと答える自分はまるで楽器屋の店員で、これから彼にそのギターを売るかのような清々しさを覚えた。ラッカー塗装の鮮やかな空色は、彼の明るさと清潔感にマッチしている。
「よかったら今度MVの撮影の時にでも貸してほしいっていうかも」
「もちろん。いつでも言ってよ」
彼に似合う私のギターのヘッドには、少し埃がかぶっていた。
その後もS君とは音楽の話は尽きなかった。あのミュージシャンが好きだ、あの歌詞がいい。互いに知らない音楽を勧めたりと高校生の時のようにはしゃいでいた。
そんな中、彼は私が作った曲を聞きたいと言ってきた。私は普段美術の制作をしているが、たまにPCを使って一人で簡単な楽曲を趣味で作ったりしている。ミュージシャンとして活動している彼にそう言われるのは、嬉しくも恥ずかしくもあったが、ここで変に謙遜する方がかえっておこがましいと思った私は素直に聞いてもらうことにした。
私は自分の作った楽曲から2分程度のインスト曲を選び再生した。S君は黙ってそれを聞いている。彼の真剣さのおかげで私は言い訳を挟むことも許されなかった。彼は一体何を思っているのだろうか。この2分が終わったら最初に何というんだろうか。「なんだよ、大したことねえじゃん」「これ、曲作ったって言える?」「意外とマシじゃん」「あれのパクリ?」「俺だったらこんなのネットにあげられないよ」「ぽさはあるよね、ぽさは」
気がつけば2分は過ぎていて、彼は顔を上げていた。先手を打たねばと焦りながら私は「なんだか恥ずかしいな」と言った。すると彼もすぐに口を開いた。
「よかった、俺と作っている曲のジャンルが違って。もし君が音楽だけやってる人だったら、きっと俺よりもいいものをすぐ作っちゃうだろうって思っていたから、ちょっと安心した」
彼は照れ臭そうにへらっとした表情を浮かべてそう言った。私は「そんなことはないよ、絶対」とだけ言った。
彼が帰った後、受け取っていた彼のバンドのCDをコンポに入れて再生してみた。S君の歌は優しくて、どこか可愛らしいユーモアがあって、誰も傷つけない正直さで埋め尽くされていた。鮮やかな空色のギターを持って歌っている彼の姿が浮かぶ。
私は空色のギターを手に取って、せめて埃を払ってやることしかできなかった。