随想④「人と人とをつなぐ能力」
下野新聞 連載4回目(最後にあとがきあり)
得意なことや苦手なことは、人によって異なる。勉強が得意な人もいれば、運動が得意な人もいる。どちらも苦手でも、いつもにこやかな人は好かれやすい。人付き合いが苦手でも、絵や音楽などが得意で、そういった道で輝く人もいる。
得意なことを生かして輝いている人の共通点はいくつかあるが、そのうちの一つに、本人とその周りの人が、その人のできないことを受け入れている点がある。反対に、自分のできないことを自分で責めながら得意なことを生かして輝いている人は少ない。
考えてみれば当然かもしれない。なんでもできるような完璧な人になれたらいいが、現実的には不可能だ。そうであるならば、人は必ず何かしらの「できないこと」を抱えて生きていく必要がある。スポーツなどのようにできないことは改善するべき、という価値観が必要な場面ももちろんある。しかし、どうしてもできないこと・苦手なことを改善するための努力を続けることが、その人の生きづらさにつながるケースも多い。
「依存」という視点から考えてみる。依存は、薬物依存症などの報道でマイナスなイメージも強いが、本来は悪い意味ではない。依存を辞書で引くと【他のものによりかかり、それによって成り立つこと。】とある。これは、生物が生きる上で当たり前の状態だ。世界的に有名な著書「7つの習慣」では「自立」の先の段階に「相互依存」の状態を置いている。一人でなんでもできる状態が理想形ではなく、誰かと助け合いながら生きていく相互依存の状態こそが目指すべき関係性だそうだ。一つのみに依存すると悪影響もあるが、基本的には依存できる場所、という支えがあってはじめて自立できる。大切なのは、一方的な依存にならずにできることで他者に貢献し、相互の関係性を築くことだ。できないこと=改善すべき、ではなく、できないこと=他者に頼り、得意なことで貢献する、という視点の転換が必要になってくる。相互依存の状態になるには「できないこと」という、個人の持つ余白がなくてはいけない。
ただ、現実では一人で何でもできる状態を求められることも多い。無意識に他者に求めてしまうこともあるかもしれない。できないことをできるようにする指導や教育だけではなく、できないことはそのままで、誰かと助け合う道の提示が増えてほしい。個人ができなくても、誰かの力をかりて、最終的に組織として、あるいは社会としてできさえすればそれでいいはずだ。
頭でわかっていても、行動に移すのは難しい。だが、色々な違いを認め合う社会の流れの中で、生きづらさを抱える人を減らすために、今後さらに必要性が増していく視点でもある。できないことがあるから、人は人と関わっていける。その余白にこそ、個人の持つ価値がある。自分の持つ「できないこと」を「人と関わるための能力」だと捉え、安心して誰かと頼りあう。自分自身に対しての、そんな見方を提案したい。
ーあとがきー
僕の人生のテーマ的な内容を書いたつもりなのですが、、、、
個人的には、すごく納得いかず。期限に追われてまとめたものの、もう少し
時間をかけて書きたかったテーマです。
ここに、認知症の人が、認知症だからこそできる生き方とか、もっとそっちも触れたかった。
というわけで、やっぱり原稿関係は早め早めに手をつけよう!
と何度目かの決意をしました。苦笑
ただ、この原稿が世に出てすぐに、幾つかの反響をいただいて、
「自分もずっと無理してたけど、この話が知れてよかった」
「心に刺さりました!」
などのご意見をもらいました。
ありがたや〜。
いつか、またこのテーマについてがっつり書きたいなー!
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