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「空気」の研究(文春文庫)

山本七平の「空気の研究」とか、その前後の日本教の話とか、1980年代とかに色々もう語られてることを今の文脈に読み替えてるだけな気がしてくる。

臨在的把握を絶対化すると「空気の支配」から逃げられない、という文脈で語られるけど、今の時代観だと「複数の空気に分人的・分散的に”私”が存在する」というほうがしっくり来る。
そうなると相対化されて「空気の支配」にならず、でも「(中心がない状態で)空気を読む」ことができる、ということか?

「空気の支配」に無自覚に従わずに済むのは、そこに漂う空気が「他では通用しない」ことに確信を持てるから。
とすると、「多様なコミュニティに所属する」とか「アイデンティティが多層的になる」とかの世界観に生きてるのであれば、盲目的に特定の空気を絶対化することは避けられるのでは。

#日本文化 #空気の研究 #西洋と東洋

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