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#4 組織は「現象」である / JINENコトハジメ

・ Podcast「JINENコトハジメ」の文字起こしを中心としたpostです
・【文字起こし】の部分は無料でお読みいただけます
・【解説】【参考文献】の追記後は、その部分は有料公開にする予定です
・ コメントや質問用のFacebookページを用意しています
 (どなたでもお気軽にご参加ください)

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【Podcast #4】

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【文字起こし #4】

山田:
では皆さんこんにちは。JINENコトハジメのPodcast第4回ですね、始めたいと思います。
このPodcastは「自然経営って何か?」というのを、自然経営研究会の発起人の1人である山田の立場から語っていくシリーズです。
今日の聞き役は第3回に続きまして、平手さんにお願いしています。よろしくお願い致します

平手:
はい、よろしくお願いします。

平手喬久(ひらてたかひさ)

 自律自転型マネジメントの専門家。4知(形式知・暗黙知・集合知・身体知)を大切に「自然(じねん)に生きる」をテーマに、週2回温泉に行きながら時間と空間的に自由なワークスタイルをして生きている。事業立ち上げ推進・設計やグループコーチングでの意識変遷・経営者の1 On 1で本質を確認していくセッションは定評がある。
 BAR、ネットベンチャーの立ち上げから事業バイアウトまでの経験を経て、外資系の大手コンサル会社で大手製造業、物流、通信会社、精密機器メーカーなどの事業改革・IT推進・組織設計、タレントマネジメントに寄与。2010年に独立しコアインテンション(株)を設立。支援先の企業規模を5倍へ。大手企業のグループ37社の業務改革を2年で完遂し運用コストを40%削減に成功するなどの実績を上げる。
 自然な生き方する人の集合組織として、個々の関心ベースで熱量に応じた、無理のない経営スタイルを実現したいとこよなく願い2020年 自然経営研究会の代表理事に就任。

山田:
自然経営って、説明をすること自体が本当に難しいなって思っているんですけれども、前提として、自然経営を「概念として理解する」というのと、「姿勢を体現する」ことと、「方法を実践する」という大きく三つに分けたときに、何となく全体が捉えやすくなるんじゃないかな、という前提で、僕は今言った構造で考えています。
今回はそのうち、自然経営の概念をどう理解するか、の一つ目に当たるところをご説明したいなと思っています。

一つ目、組織は現象であるという捉え方をすることが、すごく自然経営らしいんじゃないかなと思っているので、この辺を扱ってみたいなと思います。
これは前回の「しぜん」と「じねん」に続き、最も語るのが難しいところなので、対話しながら平手さんと一緒に深めていければと思います。

では、組織を「現象」と捉えるって何だろうって言ったときに、これは第3回で話した「しぜん」と「じねん」って違うものだなということと、すごく通じると思っていて、大きく括ると西洋的なものと東洋的なものの違いに行き着くんじゃないかという感覚もあるので、その辺に通じるんじゃないかなと。

組織っていうものそのものが、どういうものとして捉えるか、という根っこの違いなんじゃないかと思っていて、この100年ぐらい、西洋的な中で機械的に良い組織を作ることにすごい僕らは慣れてきて上達してきました。
組織っていうものが何らか「実在」するものとみんなで合意して、そこにあらかじめ存在する「物体」みたいなものがあり、それをどうやってみんなで良くしようかって考えてきたのは、組織は実在するよねって言ってきたものだっていう気がしています。
言葉で言うと自然(しぜん)、natureとして、外にある何かをみんなでどうにか良くしようと言っていることに近いんじゃないかという気がしてきました。

一方で、自然経営っていう言葉をせっかくつけた中で、組織ってもっと流動的な、動いてるものだし、ここがこの組織であるみたいな明確な境界線とか、かっちりした「実在」があるというより、流れている「現象」として組織っていうものそのものがある、という、大前提で違うんじゃないかなというところが、組織は現象であるっていう捉え方をするといいんじゃないかなと思っているところです。

そう捉え直したときに、二つ結構大事な違いが出てくると思っていって、一つ目が組織の境界線ってどこにあるのっていうこと、二つ目が組織の中心ってどこか。その二つが結構大事なんじゃないかなと思っています。

一つ目、境界線って何なんだっていうとき、組織が何かそこにある、実在している場合って、基本的には私はそこに参加しますっていうメンバーシップを何か表現する。それは雇用契約かもしれないし、会員の申し込みのことかもしれない。その登録をした人までが組織の境界線の中にいる人になり、逆にそこに入ってない人は外。ウチとソトが結構明確なのが、実在する場合の組織の境界線。

一方で現象みたいに動くものとして組織が捉えれたときって、その瞬間に私はその組織の一員であると本人が思ってるかどうかがすごい大事で、言い換えると自分の所属意識だけでしか境界線は決まらない。
これって何かっていったときに、中心的にすごい活動しているように周りから見える人だったとしても、それが本人は「いや自分は外から手伝っていて、この活動が好きなんです」と思っているとしたら、
その人にとっては外という意識でその組織の所属を考えるかもしれない。「最近全然活動できてないんだけど本当にここは私のホームなんです」って思ってる人からすると、そうなったとしても所属してる感じがする。
そこの距離感と活動量とかじゃなくって、本人の自覚によって組織って決まるんじゃないか、組織の境界線が決まるんじゃないか。その捉え方のほうがより自然経営研究会っていう団体でやってることに近い気がしていて、そこの本人の自覚の積み重ねでしか境界線が作られない、みたいなことが自然経営の中で言ってる組織って現象なんじゃないかっていう感じはしています。

もう1個中心の話も、組織が実在するもの、そこにあるよねって思ってきた場合、一つの中心をみんなで決めた方が動きやすいので、ミッションとかビジョンを決めたりとか、そこを代表するリーダーを決めたりしますが、そこで活動するときに組織の中心としてみんなで見るものになります。
組織を現象として捉えるときって、川の流れの中心とか波の中心とかって、よくわかんないんじゃないですか。多分物理的に言えば、ある瞬間、その瞬間だけ取って計算とかするとわかると思うんですけど、それに参加する場合にあんまり意味がなくて、なんとなく中心ってこう揺蕩いながら変わる、あの辺にあるねってみんなで見てるもの、くらいな気がしています。
人によってどのへんに本当に中心があるかっていうこと自体も、ちょっとずつ違って見えていてもそれ自体良い気がしていて、でも逆に言うと、なんとなくこの辺にあるっていうことはだいたいの目線は合っていると思うので、それぐらいのゆるさで中心もある。
それ自体も変わり続けているしっていうぐらいのもので、中心は、絶対にここだって決めるんじゃなくて、「なんとなくこの辺じゃない?」ってみんなで言えるぐらいのものと捉えられるのが、現象として動いていく組織の捉え方なんじゃないかと感じています。

平手:
なるほど、これは難しいですね。
難しいけど、これ改めて組織を現象で捉えるってどういうこと?

山田:
僕ら組織っていうと、わかりやすく会社だとして、このオフィスに居るこの人たちっていうのが、同じ会社の所得だよねって思ったんじゃないですかっていう感覚にすごい近くって、そこに存在するんですよ、何か。僕らの外にあって、法人格みたいな言葉がその通りで、「法人」ってあるんですよっていう前提に立つんですよね、というのが大前提すごく違うと思っていて。

夏祭りとかで、なんとなく人が面白そうなものになんとなく集まってるみたいな状態とかあるじゃないですか。人気の出店の周りに人がなんとなく居る。別にその人たちが、明確にそこの範囲に入ったから私が当事者になったとか思ってるわけじゃなくて、なんとなく流動的に、その辺に人がいるよねっていう状態で、人の流れがちょっとそこに多くなってるみたいな状態がその瞬間は生まれるじゃないですか。
それに近い感じで、出店のお客さんは別にそこにあの強い思い入れがあるというよりは、そこのお好み焼きが買いたいとかだったりするんですけど。
自然経営研究会っていう活動って何かっていうと、自然経営て言ってるなんとなくの方向性が好きとか、そこで見てることが良さそうって思っていて、人によっては、何かちょっと触れて、またそれでわかったからいいやっていう感じの方もいるし、すごい自分のやりたいことに近い気がするってそこに留まってくれている人もいる。それぐらいの距離感で見ているものにすごい近い気がしています。

そこに所属って何ですかとか、研究員が別にあるわけでもないし、そこの近いところでこの活動僕も好きだなって思ってる人たちの集まりっていう状態で動いてると思う。それも、変わってくるんですよね。

平手さんもご存知の通り、活動もいろいろ変わっていくし、どこを特に大事にしたいか、そこはみんな変わっていくので、そのときに「自然経営研究会という法人格が守るべきものは何だ?」とか、法人格の「境界線はどこだ?」みたいなことを議論するっていうよりは、ここの開かれた「場」の上で、今もどの辺に中心があって、どこに人が関わっているんだろうと見ているものぐらい。
この法人格というものが、枠を決めているわけじゃなくって、そこにいる人たちの当事者意識の延長線で、この辺までが今この自然経営研究会という場の中にいる人かっていうのは後から決まってる。
それくらいで捉える、というのが大前提すごく違う気がする。

平手:
すごい大事な気がしてて、現象であるってことは動いてるって言ってましたよね。大前提は動いてるものを取って現象として捉えていく。 
それって動いているものを観察しているようなイメージになるのかな?

山田:
そこがよく自然経営塾とかでも語っていたような、この組織を「変えよう」とか「管理しよう」とかっていう発想と全然違うじゃないですか。
動いてるものとして、かつ自分もその動きの一部でしかないと思いながらそこに関わっている感じ。

「でしかない」というとちょっとネガティブな言葉の気がしたけど、そう言いたいわけではなく、そこに、実体である会社みたいなものに対して働きかけるんじゃなくて、大きな流れの中に自分もいるだけだし、活動全部がそうなっている。

そうだとすると。1人がすっごい頑張って「絶対こっちにやる」ような、例えば発起人である僕とか武井さんが「絶対こっちだ」って言ってみんなを引っ張ろうとしても、波って別にその一部分が頑張ったところで全体の流れって変わらないじゃないですか。

ただ、もしかすると僕が「絶対こっちがいいと思う」って平手さんに語りかけ、他の方に語りかけ、「その方向はすごい良い」と思って同じ方に流れてくれるとしたら、だんだん全体の流れは僕が願う方に変わっていく。
それは僕が発起人だから強い影響が発揮できるとかっていうよりは、平手さんとか他の方が共感して同じ方向に動いてくれるから、結果動いていくものだというぐらいだと思う。
そうやって大きな流れとして存在している、そういう捉え方をした方が、箱があってそれを変えるんだっていうことよりは、遥かにこの自然経営で言っているような、全体として流れが動いていくことにすごい近い気がするので、ここの違いがとても大事な気がしています。

平手:
箱があるんじゃないし、決められたもの、決まったものがあるんじゃなくて、こういう動きの中で動いてるものを捉えるとこうだよっていう、そういう捉え方をするようなイメージなのかな。

山田:
そうですね。なので本当に大前提が違う気がするので。動いてる中に自分もいるっていう感覚です。そこに組織の所属っていうものを持ってくると、すごいバグが発生するじゃないですか。
そこの違いがすごく大事なところな気がしていて、特に自然経営研究会は一般社団法人でやっていて、売り上げ目標とかなくてもできるすごい安全な場なのはいいことだと思っています。

やっぱりどうしても株式会社で給料払って、従業員の雇用をちゃんと守らなきゃとかってやってるときって、「とはいえちゃんと売り上げ上げよう」みたいなこととか、守りたい、絶対的に達成したいことが強くあるので、よりその箱としての大事なことがどんどんいっぱい出てくる。

この社団法人って本当にそれが限りなく少ないので、「どうすればこの流れがより良い方向に行くだろう?」ってみんなで向き合いながらやるっていうことが、すごくやりやすくなっている。
そこが体感できてくると、現象としてみんなで捉えることがやりやすくなってくるんじゃないかなという気はしています。

平手:
箱がある、ところでいくと、ルールとかそういうことに囚われていっちゃうということなのだろうか?
問いを変えると、組織が現象であるってことがわかると、どんな感じに変わってくるんだろうと思って。

山田:
何が変わってくるかというと、大前提やっぱり「変え」られる「管理」できるみたいな感覚じゃないところで組織と向き合うんだと思うんですよね。
その延長にあるのが、特に影響力のある役割とか、社長とか役職のある人になっていけばいくほど、よかれと思って変えたい、っていうことがすごく発生する。
それは本当に善良たる思いで、従業員に良い暮らしを提供したいとか、お客さんに良い価値を出したいとかっていうものだったとして、だからこそ発揮できる、実現できることもある。
それでも、どうしても何事も逆効果ってあるので、それって、社長・創業者のやりたいことに、そこの従業員に「やらせる」「やってもらう」っていう構図に最後なっていくので、そこに関わる当事者の1人1人が本当に自分の熱量の持っている向きたい方に行くっていうことと、ともすると、ぶつかる構造になりやすくなっていく。
一人一人が本当に良かれと思って、自分がやりたいと向き合うことに素直に向き合っていった結果として、組織という現象の活動ができてくっていうことにすごく近づいていくと思うので、そこの違いが多分すごく生まれるんじゃないかなという気はしますね。

山田:
自然経営っていうものって、あくまで一つの選択肢だし、これが正義とか絶対正解じゃないよねって僕がいつも感じているのはすごくその辺にあります。
従業員とかその家族の生活をちゃんと守ってあげたい、それを競争の激しい市場の中でやっているんですっていう人が、全て委ねてそれぞれの熱量で動いていこうとやった結果、すごい売上が下がって給料を下げなきゃいけなくなるかもしれないっていうことを、例えば創業者がわかっているとして、そこで「全て委ねる」ということが正義かというと、そうでは全然ない気はしていて。
「とはいえ、ここは守ろう」っていうことは、その見えている人が、ちゃんとこう促してあげるっていうことをやるのはすごい良い世界だと思う。それはそれできっとあった方がいい。
一方で、本当に純粋にそこにいる人たちの熱量を大事にすることをやり抜きたいんだとしたら、組織を現象として捉えるみたいなことが感覚でやっていくってこともできる。

株式会社だったらどの範囲までできるんだろうっていうことは、きちんと見極めて、まずここだったらやれるよねっていうことを順番に作っていくみたいなことではないと、不幸が生まれるだけな気がする。その中でどうやればいいかなっていうことを捉えてこのすごく大事なんですねかなという気がします。

平手:
はい、ありがとうございます。

山田:
この辺は、本当に概念的で、語るのが最も難しい2つのうちの2つ目っていうのが前回と今回だったので、なかなか難しいなと思います。
あと、これは言葉で頑張って説明しようとしすぎても多分あんまり意味がないというか。それはそれで大事なんだけれども、こういう感覚なんだねとかって実感ができるみたいなことの方がやっぱり大事な気がするので、「理解をしたい、まず頭でわかりたい」っていう方にとっては、こういう説明から聞いていくっていうのも一つのアプローチな気がしますし、「そういう難しいのいいからとりあえず何?」みたいなことを感じたいんであれば、自然経営研究会の活動を一緒にやってみるとか、そういう場に一緒に来ていただいたりする中で、「あ、こういう感じなのね」っていうのを体感してもらうことができるのがすごくいい。
それはご自分のどういう触れ方がいいかに合わせてやっていただけるといいかなと思います。

平手:
「感じ」が大事ってことね。

山田:
水の流れを理屈で定義しきるとか難しいじゃないですか。こういう感じで流れるんだねとかっていうのを、なんとなく見たことがある、なんとなくわかるよねっていうのと、近いものでいい気がする。
そこはそんなに肩肘張らずに「理解しなきゃ」みたいなことじゃなくても全然いいかなという気もするので、そこは本当に人によって違っていいかなという気はしますね。

平手:
そういう「感じ」を捉えるっちゅうのは現象を捉えるってことでもある。

山田:
ということな気はします。今回、このJINENコトハジメのPodcastは、僕から見えている自然経営を語りますって言っています。
僕自身は感覚も大事だと思っているし、一方で、言葉で理解したいとかって思いも強いので、「これは何だろう?」ってたくさん考えがちなタイプなので、このアプローチで一緒に理解することがしたい人には向いていると思う。
もう1人の発起人の武井さんとかは、どっちかっていうと自分の感覚でやってきたこととか、その感覚で見えてる先とかを大事にする。2人の対比で敢えて言うならばそれぞれの強みなので、武井さんの語るエピソードとか実体験から「感じる」っていうことがしっくりくる人ももちろんいると思うので、そこは本当にいろんな方の感じ方、理解の仕方みたいなのを、それぞれに合う人を見つけていくみたいな感じで見つけられると、よりその人らしいこの世界への触れ方ができる。
僕は特に理解をしたい欲が強いんだなって今日話していてやっぱり思いました。

平手:
そういう意味で、やっぱり理解したじゃない。だけど、自然ってその理解をしたいって世界と、やっぱ感覚で味わっていく、感覚としてこう現象として掴んでいくってところが両方ある世界で、一般的な世の中は理解のほうに行っている。
この現象として、感覚としてあるものはあるように見ていく、味わって感じていくっていう、そことセットでわかってくる世界だって言ってるように聞こえてきました。

山田:
まさにですね。なのでこの回は、本当に語るのが難しかったんですけど、どこまで語るんだろうとか、語られたことを理解することで得られるものって、決して100%ではなく、平手さんが今おっしゃっていただいたみたいに、現象として体感するからこそ、得られる手触りというか実感みたいなことと、セットで初めてつかめてくるものだと思う。
理解をまずは優先で一旦やってみたい人ならではのアプローチもあるし、感覚をつかむみたいなことを、実感を自分でしながらやるっていうこの両面が本当に大事だなと思うので、そこは理解ができないとかっていうことで止まるのも違うと思うし、今日のを聞いて理解したって思い切るのも多分違うし。
そこのバランスが大事だっていうことが、今日の裏テーマとして非常に大事なところだというのは、最後言っていただけことから感じました。

平手:
なのでこの自然の学びは感じながら理解しながら、両方ありつつ動きながら、っていう世界やね。

山田:
はい、そうですね、まさにその両面が行ったり来たりできるといいなと思いました。

平手:
ありがとうございます。

山田:
ということでJINENコトハジメ第4回ですね、今日は組織は現象であるっていうところを、理解できる範囲まではやっていこう、ということをやってみました。
平手さん今日もありがとうございました。

平手:
ありがとうございました。

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最後のところでも語っていますが、この回(#4)と前回(#3)は、全体を通しても最も語りづらい2つでした。

改めて、今回扱っている「組織は現象である」と捉えることについて、
・何を伝えたかったのか?
・なぜこれが必要なのか?
という2点を中心に、簡単に解説を加えてみたいと思います。

【解説①】動画で捉える「現象」としての組織のイメージ

組織が「現象」であるとは、言葉で説明すると難解ですが、イメージにするとこのように捉えることです。

現象としての組織_図解

これが「静的」に切り出すことが難しく、Podcastの中で「波を厳密に定義できない」と言っていることが少しでも感じて頂ければと思います。

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