台湾旅行記⑥
11日目
この日は太魯閣に行く日だ。太魯閣について調べてみても、途中途中にある地点の記事は豊富だが、全体を回るような情報があまり見られなかったので、どう回るかとても悩んでいた。宿の人は、天祥までバスで行って、ゆっくり降りてくるのが言いと言っていた。
朝早めに起きて、昨日の残りの小籠包を食べて、太魯閣の最寄りとなる新城駅へと向かった。駅のバス停には同じように観光客が多くいた。やってきたバスはダイヤ的には天祥に行くはずだが、天祥には行かないと言っていた。次のバスを待っても仕方ないと思い、ふもとのビジターセンターまで行ってそこから上に上がることにした。ビジターセンターでバスを降りたは良いが、朝早くにも関わらず、バスを待っている人が多くいた。不思議に思いながらも、近くの遊歩道を歩いて上へと向かった。初めに通った小錐麓步道は道幅が狭く、岩場もあり、なかなか大変なところに来たものだと感じた。
その遊歩道も20分ほどで歩き終えて、砂卡礑步道の入り口に出た。ここは太魯閣の有名なスポットの一つで、多くの観光客が歩いていた。しかしながら、この遊歩道は天祥方面には行かないので、帰りは同じ道を引き返すことになる。上に向かいたかったので、遊歩道の入り口の500mくらいまでを歩いてみて引き返した。
その後上に向かおうとしたが、遊歩道的なものが見当たらず、車用のトンネルしか無かった。そして、そこを歩く人は誰一人いなかった。その時ようやく気が付いた。名所が点在している太魯閣を大半の観光客はバスで移動するのが定番だったのだ。それに気が付いた時には時すでに遅く、1kmあるトンネルの真ん中まで来ていたのである。換気能力が低いトンネルの途中でだんだん気分が悪くなってきた。しかし、ここで止まってしまったらまずいと思い、頑張って歩き抜いた。
トンネルを抜けた先は歩行者用のスペースが全くない車道であった。次々にやってくる観光バスに注意を払いながら長い道のりを歩いた。歩いてくるもんじゃなかったと終始感じていたが、途中途中にある、バスでは見落としそうな絶景に支えられながら歩いた。
次に目指したのは太魯閣の有名な吊り橋の布洛湾吊橋である。Googleマップの案内にしたがって、急な山道の車道を歩いていたが、この傾斜がとにかくきつかった。自分で選んだとはいえ、とにかく苦しく、自分への試練だと感じた。
休み休み歩いていると、追い抜いて行った車の一台がすぐ先で止まって声を掛けてくれた。英語も日本語も通じなかったが、乗っていきなというジェスチャーをしていたので、好意に甘えて乗せてもらった。車での移動時間は5分も無かったが、人の優しさを切に感じた。吊り橋の手前にはビジターセンターがあり、そこに向かっていたようである。苦労の末たどり着いた吊り橋は少し期待外れであったが、橋の下に広がる深い峡谷は圧巻であった。
帰りも同じ道を引き返す必要があるかと思い気が重かったが、吊り橋の隣にある遊歩道を使うと同じ道に出られると教えてもらった。最初からその道で来ればよかったのだが、それはGoogleに頼って、観光マップを見なかったせいである。帰りの遊歩道は15分ほどで元の道に戻ることができた。そこから30分ほど歩き、帰りのバスに乗る燕子口にたどり着いた。ここも太魯閣では有名なスポットで、侵食によって作られた多数の岩の穴や、対岸まで20mを切るような狭い峡谷が特徴である。バスの時間を調整し、1時間ほど燕子口を散策した。先人の手によって作られたトンネルも壮大であるが、その脇から見える峡谷が絶景であった。この造形が自然によって作られたものを考えると、自然の力の大きさや年月を感じた。
バスの時間に余裕をもってバス停に移動し、待っていたのだが、バスが来ない。観光バスはひっきりなしに来るのだが、路線バスが全く来ない。そうこうしているうちに1時間が経過したが、ようやくやってきたバスは満車で通過してしまった。その後30分ほどしてようやくバスが来たのだが、乗りたかったバスの3本後の便であった。新城駅に着いたことには14時半を過ぎており、乗りたかった列車はとうに行ってしまった。宜蘭で途中下車をして、散策する予定であったが、諦めることにした。そして、早朝に肉まんを食べただけで昼食をとっていなかったので、とてもお腹が空いていた。昼時を過ぎてしまったので、店もところどころ閉まっており、近くにコンビニも無かった。幸い、駅前の食堂がまだ料理を提供できると言ったので、炒飯を食べた。
その後、やってきた急行列車に乗って瑞芳に向かった。台湾一周編の最後の宿を瑞芳にしたのは九份や基隆にアクセスしやすいからだった。今回使った5日間乗り放題切符は優等列車の中では唯一、莒光号という急行に乗れるのだが、莒光号は運航本数が少ないため、最終日にようやく乗ることができた。急行列車は客車列車で、後方には郵便車も連結されていた。年季の入った客車の内装は国鉄時代の特急を彷彿させるものであった。
太魯閣では快晴であったが、宜蘭を過ぎたあたりから雨が降り始めた。瑞芳で列車を降りて、宿に荷物を置き、バスに乗って九份に向かった。九份は台湾で最も有名な観光地の一つで、山の斜面に造られた街並みが千と千尋の神隠しの神隠しのモデルになったのではと言われており、日本人にとても人気である。ジブリファンではないので、そのあたりは興味が無かったのだが、台湾に行くと人に伝えたら誰もがこの場所について話してきたので、行こうとは思っていた。また、この街は夜景が美しいと言われており、夜に行ってみることにした。九份へはバスに乗って20分ほどで着いた。降りたころには雨が本降りになっており、みな傘をさすか合羽を着ていた。自分はカメラを持ってきていたので折りたたみ傘を持ってきたが、狭い通りに人が密集していたので、傘は都合が悪かった。九份は日本人に人気の場所であるため、ほとんどが日本人観光客であった。
観光客の多さと強まる雨にうんざりしながらも一通り街を歩いてみた。その途中、九份で一番写真に写っている場所の前も通ってみたが、実物はさほど美しくなかった。
その後、雨がどんどん強くなり、土砂降りになったので瑞芳に戻ることにした。帰りのバス停は上りのバス停から離れたところにあり、見つけるのに時間が掛かってしまった。ようやく見つけたバス停には多くの人が居た。この時間には台北に帰るバスは運行を終了しているようだが、台北から来た人が多いみたいで、それぞれが日本語であーだこーだ言っていた。それを見て、瑞芳に宿を取って正解だと思った。
バスに乗って瑞芳に帰ってきたが、雨に濡れたため、体が冷えていた。時刻は20時半を過ぎていたが、夕食もまだだったので、駅前で温かいものを探した。通りがかった店で頼んだ牛肉麺は出汁が効いていて、冷えた体に深く沁みた。
夕飯を終えて宿に戻り、明日のプランを考えてから寝た。明日は台北に戻る前にどこかに行こう。
12日目
瑞芳は朝から雨が強く、どこに行くのも億劫な天気であった。十分か基隆に行こうと思っていたが、その気力すら生まれない雨であった。どこに行くか宿で考えていたが思いつかなかったので、台北に帰ることにした。駅に向かう途中、瑞芳のご当地グルメだという龍鳳腿を買った。これはさつま揚げのようなもので、魚のすり身と豚肉に、野菜を混ぜた餡を網脂で包んで揚げたものである。揚げたてを食べたのもあるが、旨味が溢れて、とても美味しかった。野菜が多く混ざっていることで、脂のしつこさは感じなかった。買ったのは1本だけだったが、二口三口で食べれるサイズなので、もう何本か買っても良かったなと感じた。
台北方面に向かう普通列車に乗り、40分ほどで台北に着いた。台北駅に着いたので、これで台湾一周が完了した。コンコースには数日前には無かった大きなクリスマスツリーが設置してあり、まだ11月前半なのにクリスマスムードになっているのに驚いた。
外に出ると雨は小雨であり、それならもう1時間くらい早く戻ってくれば良かったなと思った。今日は宿がどこも埋まっていたので、ネットカフェで夜を明かすつもりで台北駅の荷物預かり所にスーツケースを預けた。
台北でどこに迷ったが、まだ松山の文創園区に行っていなかったので、意味もなくそこに行くことにした。
松山文創園区は煙草工場の跡地をリノベーションした文化施設群で、この煙草工場は1930年代で最大規模の建築物だったそうだ。
文創園区に入ってみると、イベント開催の張り紙があった。どうやら、この土日は台北市内の各施設が開放されるイベントらしい。この施設もいくつかの設備が見学可能になるようだが、開始まではまだ時間があったので、文創園区内を歩いてみることにした。
建物内を歩いていると、美的進化論と書かれた展示を見つけたので入ってみた。どうやらこの展示は学校教育における芸術教育の成果報告のようだ。内容はとても面白く、自分も義務教育でもっと芸術について触れる機会があれば良かったのにと感じた。人々の流れが自分と逆であることに疑問を持ちながら、進んで行くと、内容がどんどん抽象的になってく。そして、序章の説明が現れた。そうか、自分は出口から入ってしまったのか。説明を読むとこ展示の主催は台湾の教育部であった。なるほど、国の施策としての芸術教育の成果発表展であったのか。国の展示とは思えないほど魅せ方が上手く、文化を大切にする姿勢が強く伝わってきた。
次に訪れたのはグラフィティアートのコラボ展であった。グラフィティアートとフィギュアのコラボで相互に影響を受けた作品が展示されていたのだが、展示場所がユニークであった。タイル貼りの室内で、まるで水場だったような場所であった。
その後、Not just libraly という名前の図書館があったので入ってみることにした。入り口に立っていた女性スタッフから中国語で話しかけられて、中国語が出来ない旨を伝えると英語での説明が始まった。しかし、この英語の説明がとても速く、情報量も多かったため、内容の半分も理解出来なかった。高等教育を受けたであろう人たちの英語力の高さに驚いた。彼女の説明によると、この図書館は煙草工場の男子浴場跡を利用した場所とのこと。さっきの展示の場所も浴場跡だったのだと合点がいった。図書館内はデザインや建築、イラストの本を中心に、世界各地の本が並べられていた。規模は大きくないが、こだわりが詰まった図書館であったので、何度も訪れたいと思った。
その後は建物内を中心に歩き回って、次の予定までの時間を過ごした。
今日の夕飯は先日の餃子パーティーで出会った日本人の男の子と一緒に行くことになっていた。何を食べるかを考えていたが、自分のリクエストで路面店の小籠湯包を食べに行くことにした。彼は中国語が出来るので、細かな注文が出来るという絶大な強みの恩恵を受けた。小籠湯包を食べる前に近くにあるドーナッツスタンドがおすすめであるというので、買いに行った。
行列が出来る人気で、皆が10個くらい買っている。目の前の客でストックがなくなったので、自分たちは揚げたてを手に入れることが出来た。素朴な味わいのドーナツは美味しく、何個でも食べられそうな軽さが良かった。
その後、小籠湯包の店に行き、念願の小籠湯包と美味しそうだった葱乗せ餃子を注文した。蒸し料理の小籠湯包と茹で料理の餃子の違いがよく分からなかったが、どちらも美味しく、本場で食べれてとても良かった。
夕食の間、彼とさまざまな話をして、彼も音楽が好きだということが分かった。自分がこの後、ライブハウスのクラブイベントに行く話と、その前にもライブがあるらしいという話をしたら、ライブに一緒に行くことになった。
ライブ会場まで行って当日券があるか訊いてもらったが、オープン前だったのでまだ分からないと言われた。オープンまで1時間ほどあったので、近くのスターバックスに行くことにした。台湾に来てからグローバルブランドのものを避けてきたが、日本のスタバで独自のフラペチーノ文化があるように、台湾にもなにかあるのではないかということで、行ってみることになった。スタバのメニューがさっぱり理解出来ないのは、言語の壁ではなく、そもそものおしゃれなネーミングによるものなのだろう。レジカウンター上の掲示にクリーム乗ったマロン味の飲み物があったので、それが季節のおすすめだと踏んで、それにした。英語が不慣れなスタッフになんとか注文を伝えて、会計をした。スタバはVISAやJCBが使えたのでとても安心した。台湾はクレジットカードが使えても、VISAに対応していないところが多く、JCBはもっと対応していない。
やってきた飲み物を飲んでみると、メインはコーヒーであった。日本のフラペチーノはコーヒーではないので、少し驚いたが、普通に美味しかった。ただ、唯一受け入れられなかったのが、栗の形をしたものが、栗の甘露煮ではなく、マロン味のチョコレートであったことだ。そこは栗であって欲しかった。
スタバでも様々な話をしていたので、あっという間にオープン時間になった。ライブハウスに戻り、再度当日券について尋ねると、あるとのことだったので、二人で入った。ライブハウスのキャパシティは100人程度で落ち着くサイズ感であった。
スタートまでの時間、他の客の顔ぶれを眺めていた。それぞれの客が、日本のライブハウスと同じ雰囲気であった。バンドと仲良くてライブ中にヤジを飛ばしそうな人、ずっとシーンを見てきたであろうおじさん、メンバーの彼女であろう後方で見てる人などなど、音楽のカルチャーは国によって変わらないものだと感じた。
最初に出てきたバンドの普通隊長はVo./Gt.がどう見ても日本のメロコアが好きそうな格好と機材をしている。メロコアが来るのかと思い、演奏開始を心待ちにしていると、4カウントから始まった。最初の1音でメロコアであることが分かった。彼のTシャツを見てみると、Pizza of deathのものだった。見た目からも音楽からもメロコアへのリスペクトを感じた。メロコアは展開がある程度同じなので、初見でもキメやコーラスなどに合わせて楽しむことが出来た。
演奏終了後に彼に話しかけると、日本語が出来る人であった。細かな話は終演後にしようと言われたので、次のバンドを見た。煙雨飄渺というバンドが今回のライブのメインで、ツアーの台北編であった。ジャンルはポストロックで、歌詞やMCの意味は分からなかったが、演奏はとてもレベルが高かった。このライブは2バンドの公演であったが、ハコのキャパシティから想像が出来ないくらいレベルの高いライブであった。
終演後、普通隊長のメンバーと話したら、やはりVo.の彼は日本のメロコアが好きであった。また、知識も豊富で自分が新潟から来た話をすると、難波章浩のラーメン屋のことを尋ねてくるくらいであった。また、彼らは台湾インディーズ界隈では実力のあるバンドのようで、10ーFEETやTOTALFATなども出演する台湾の大型ロックフェスにも出演することが決まっていた。
その後、打ち上げの夕食に行くから一緒に行こうと言われたので、付いていくことにした。向かった先は熱炒という台湾式の居酒屋であった。それぞれの料理は一皿100元程度とリーズナブルであったが、どれも美味しかった。
ただ、自分たちは夕飯を食べてきたのであまり食べられず、また閉店時間にもなったので料理を残すことになり、心苦しく感じた。
彼らと分かれて、ネットカフェに行くべく、台北駅方面に向かった。そして、ネットカフェに着いたは良いが、満室で入れないと言われた。慌てて日本人学生の彼に連絡して、別の店に確認してもらいつつ、自分でも付近の店を回った。しかしながら、どこもいっぱいで、オープンブースすらも空きが無かった。最悪、マクドナルドで時間を潰せば良いと思ったが、24時間営業の店舗も、深夜帯は持ち帰りのみの営業と書いてあった。
路上で過ごすのだけは勘弁して欲しいと思い、予約サイトには乗っていないようなホテルにも行って確認したが、やはり空きがない。
最悪のケースに陥ってしまった。そして、携帯もモバイルバッテリーも充電がない。歩き回って疲れたので、24時間営業の吉野家に入った。満腹とはいえ、牛丼を頼まずにサイドメニューだけ頼むのは無理だと思い、小サイズの牛丼を頼んだ。これほど虚無感を感じる牛丼は初めてであった。時間を稼ぐためになるべくゆっくり食べたが、食後の時間を含めても1時間程度しか潰せなかった。
時刻はまだ3時、荷物預かり所の営業開始まで5時間もある。寒いほどではないが、風が強い上に長袖Tシャツ1枚ではだんだんと身体が冷えてくる。しばらく駅周辺をさまよったが、4時前に体力の限界がやってきた。しかたなく、バス乗り場のベンチで横になったが、寒さで15分に1回は目が覚める。そして、5時前にはお腹が痛くなってきた。しかし、公衆トイレは周りにない。コンビニを探して歩いたが、スマホが使えないなかで営業中のコンビニを見つけることは出来なかった。いよいよ限界だ。絶望感が大きくなり、心が折れかけたその時、台北駅のドアが開いた。なんとかトイレにたどり着いて難を逃れた。トイレの次は携帯の充電だ。台湾の駅には充電コーナーがあることが多いので、それを探したが、見つけられなかった。駅の中をさまよっていると、壁面にコンセントを見つけたので、申し訳ないとは思いつつ拝借して充電をした。充電しているのを隠すように柱に持たれかけながら床に座っていたので、通りゆく人々に見られることになった。身なりが汚くない若者がホームレス同様に過ごしているのは確かに違和感があるだろう。ただ、こちらも好きでやっているわけではないのだ。
その後、充電がある程度進んだので、人通りの少ないところに移動した。そこで開店前の店のソファー席を見つけたので、そこを借りて8時まで時間を潰した。そして、ようやく迎えた8時。なんとか生き延びた。