バウムクーヘン
「幸せとは何か?」
という哲学的な書き出しでこの文章を始めよう。
しかしながら、私は今この問いに対して明確な答えを持っているわけではないし、少なくともこの問いが浮かんでいる時点で私は「幸せ」ではないのだろう。
だが、私が「幸せ」ではないということに、世の中の人、少なくとも私の近くにいる人は懐疑的な目で私を見ているだろう。正直そうだ。別にお金に困っているわけでもないし、恋人はいなくても友人や会社の上司にも恵まれている。仕事もきついわけではなく、ほぼ7時前には帰ることができている。適度に趣味や楽しみがあり、病気を患っているわけでもない。端から見れば、私は何の不自由もない「幸せ」な人なのだろう。
だがしかし、「私自身」が「幸せ」を感じないのだ。私には「幸せ」になれる心を持っていないのだ。
これは決してもっとお金持ちになりたいとか、可愛い彼女が欲しいとか、そういった高望みをしているわけではない。私自身が「幸せ」な自分を懐疑的に見てしまうのだ。
よく、他人と比較して自分を不幸に感じてしまう人は多い。他人が幸せなのを見ていると自分はなんて不幸なんだと感じてしまう。私もそれがないわけではない。だが私の場合こういった風に考えてしまうこともある。他人が不幸なのを見て自分が幸せに感じてしまうのではなく、他人が不幸にもかかわず、自分が幸せになってしまうことへの一種の罪悪感と、他人からのあるかどうかもわからない妬みに苦しんでしまうのである。
私も社会人になりもうすぐ2年になる。私には何人か同期がいるが、2年目になるとそれぞれの部署の「色」が出始める。パワハラ気味の上司に毎日のように怒られる同期。仕事に追われ毎日遅くまでの仕事をする同期。それに比べて私はどうだ。ありがたいことに上司には恵まれ、仕事もきつくなく、なんて幸せ・運がいいのだ!!!今日も彼らを横目に見ながら、定時で帰ってやったぞ!!!
怖い。怖い。怖い。
毎回帰るたびに思う。彼らの目が怖い。
妬みの目が怖い。私が退社する後ろ姿を彼らはどのような目で見ているのだろうか。
私が幸せなせいで、彼らが不幸に感じてしまうのが怖い。
私は彼らを助けてあげたい。応援してあげたい。
しかし、自分より楽をしている奴から応援されるほど屈辱的で気分の悪いものはない。私には彼らを「幸せ」にすることができない。
だからこそ私は不幸になりたいのだ。彼らと同じ目線にいたいのだ。
しかし、これは誰にも理解されない。こんなことを彼らの前で言ったら殴られるだろう。
よく周りから「悩みがなさそう」といわれる。
それはそうだ。私は自分の感情を出さないように道化をふるまっているのだから。常に何も考えてないような能天気な奴をふるまっているからだ。しかし、私にとっては「悩みがない」ことも一種の悩みなのである。
季節の変わり目だからか、はたまた気圧の変化か、原因はともかく、今はいろんなことが怖い。他人の目や思っていること、幸せであること、そして自分自身。
私は「幸せ」になってもいいのだろうか
ここで、全INFP民にある曲をささげたい。
私の大変敬愛するフジファブリックの『バウムクーヘン』である。
空虚で本当の自分を見せたくないから、いろんなものに覆いかぶさって、まるでバウムクーヘンみたいになっているINFPにありがちな思考を的確に表現している。
「怖いのは、否定されること」