連載第13話 雲上の6000m峰へ
カラパタールに登頂した私は、野口と宮上と別れ、ルクラ村まで戻った。首都カトマンズで出会っていたコック兼ポーターのガラテンバとそこで再会。彼は相変わらず、のんびりと柔和な笑みを浮かべていた。
野口が手配してくれていた登山ガイドのフロバキタは、ガラテンバ同様、30歳くらいの男だった。
三人でこれから、メラピークという6461mの山を目指す。
「俺がいれば、すべて大丈夫だ」
と、引き締まった体のフロバキタは言ったが、全然信用できなかった。まだ昼だが、完全に酔っぱらっていたからだ。千鳥足の彼をおいて、コックであるガラテンバと出発した。
その日は、数時間歩いただけでテントを張ったが、夜寝る時間になってもフロバキタは現れなかった。野口は、信頼できるガイドと言っていたが、大丈夫なんだろうか?
翌朝起きると何食わぬ顔で、フロバキタはそこにいて「俺について来い」とばかりに先導して歩きはじめた。
森を抜けると、いきなり急な岩のガレ場の道となった。
当時の私は、クライミング経験がなくそこは恐怖でしかなかった。フロバキタは、難しい岩場では待っていてくれて、手も差し出してくれた。だが、逆にバランス感覚を崩しそうで「It’s OK」と言って断った。その時は、酔っ払いの彼をそこまで信用できていなかったのだろう。
「この世の果て」のような岩の斜面を登りつめ、なんとか峠へ。
そこにはひさし状に突き出した大岩があり、あろうことか、その下には3人の女性シェルパがいて、お茶を沸かしていた。
「峠の茶屋」なのだろうか?
フロバキタがミルクティーをおごってくれた。
私にとっては、地の果てのようなルートでも、シェルパ族の人々にとっては村から村への「生活道」なのかもしれない。
しかし、翌日歩いたその「生活道」は、いたるところで崩壊し、さらに悪相を増した。
川沿いの道が当然途切れ、川へ向かって薙ぎ堕ちた崖なっている。
「半年前に、洪水が起きたんだ」
とフロバキタは言っていたが、数十メートルにわたり、土手の斜面が大きくえぐり取られてしまったのか、その訳がわからなかった。
夕方についたターナという村で、その惨事の意味を理解した。
村の上の斜面が大きくV字状に抉られ、崩壊したばかりの崖になっていた。その上には、それまで大きな湖があったらしい。
ダム状になっていたその湖が決壊し、一気に大水が谷を下ったという。これにより、何軒かの家は流されてしまったそうだ。
凄まじい災害のはずだったが村人たちは、すでに日常を取り戻してしているように見えた。
おばちゃんが
「あんたどこから来たんだね?」
と満面の笑みで話しかけてきた。不気味にえぐられた背後の山肌と、その明るい表情の対比が不思議だった。
半年たったとはいえ、自分がここの村人だったら、こんな笑顔を作れるものだろうか?
翌日、崩壊後の斜面を登った。
登り詰めると、目的の山、メラピークが目の前にいきなり飛び込んできた。
巨大な岩壁が、凄まじい角度で空に伸びていた。唖然とする私に、フロバキタが、
「大丈夫だ、この岩壁を登るわけじゃない。裏側のイージーな斜面をオレたちは登るんだ」
と言ってきた。
「登る、登らない」は別として、その壁の壮大さと美しさに、言葉がでなかった。私は知らなかったが、その前年、クライマーの山野井泰史がこの壁にトライし撤退していた。
未踏を誇っていた大岩壁を、何の事前情報もなく見せられた私は、そこに立ち尽くすことしかできなかった。
その日は、その壁が見える岡にテントを立てた。コックのガラテンバは、寂しげに言った。
「明日から氷河歩きで、私はここまでだ。」
そこまで毎日おいしいネパールカレーを作ってくれていたが、明日から味気ないレトルト食品になるのだろう。
だが、彼はこう続けた
「でも君が今履いているトレッキングシューズを貸してくれたら、ふたつ先の最終キャンプまで行くよ」
私は、氷河用のプラスティックブーツに履き替える予定になっていた。迷わずに、トレッキングシューズを貸すことにした。だが、こんな柔らかくて軽い夏用のシューズで、アイゼン、ピッケルもなしに本当に氷河を歩くことができるんだろうか?
そう思ったが、それは杞憂だった。
翌日の氷河の登行は、希薄な空気に、私は足が前に進まなかった。すでに標高5000mを越えていた。だが、ふたりは
「先にテントを立てているから」
と言って、先に言ってしまった。心配しなくてはいけないのは、ガラテンバではなく自分自身のことだった……。
霧が湧き出し、ほとんどホワイトアウトとなったの中を、二人の足跡をたよりに歩く。テントに到着した時には、すでにガラテンバがカレーを用意してくれていた。
夕方、霧が獲れ、メラピーク山頂が顔を出した。急峻な西壁とはうって変わり、そこから山頂まではなだらかな斜面が続いている。
「クレバスが多いな。だが、山頂まであと残り標高差1000mだ」
とフロバキタが言う。
翌日、標高6000mの最終キャンプへ。
やはり私は、早く登ることができない。わずか標高差500mが、果てしなく遠く感じられた。
だが悔しいことに、ガラテンバは、いつも通りの笑顔で登っていた。
氷河の上に突き出した岩にたどりつくと、そこにテントを張った。最新装備に身を包んだ私だけが、満身創痍だった。
夜は高度が上がったせいか、星が数を増し、一つ一つがより輝いて見えた。
まるで私たちがいる岩場が、地球の外側にでてしまったかのようだった。
見事な夜空だったが、ガラテンバは、下を見て何かをしている。
ふいに、パッと彼の方が明るくなった。
見ると、そこには小さな炎が揺れていた。
焚火を作ってくれたのだ。
しかし燃えるものなどないこの氷河の上でどうやって?
「ホワイトアウトに備えて、目印に立てる木の棒が、ここに何本もあったんだ。前の登山隊が捨てていったんだろうな」
とガラテンバは言った。
氷河から突き出した岩の上。見上げれば、宇宙にいるかのような星々。そんな無機質な世界で、その小さな焚火は、ことさら暖かく思えた。
その焚火を見ながら、ガラテンバが話す。
「フロバキタの家系は、みんな登山ガイドをやっている。私はコックだから、どんな登山隊に行ってもベースキャンプまでしか行っていない。でも、今回はここまで来れ良かったよ。大石さん、明日はがんばって!」
アイゼンもピッケルも持たないガラテンバが、この6000mまで登ったこと自体が、客観的に見れば無謀だったのかもしれない。だが、その時、私の口からでてきた言葉は、こうだった。
「山頂まで一緒に登ろう!」
ガイドのフロバキタも、無言でうなずいていた。
「行っていいのか!」
ガラテンバが、弾んだ声を上げた。
ゆらゆらと静かに揺れる炎を見ながら、ガイドのフロバキタもぽつり、ぽつりと語り始めた。
「今回は、俺は1年ぶりの登山だったんだよ」
そこから続いた話は、衝撃的なものだった……。
「去年の夏、弟のひとりが、日本人のガイドをしていて雪崩に巻き込まれて死んだんだ。日本人も何人も亡くなった。それ以来、俺はガイドをやっていなかった」
私の頭の中で、何か引っかかるものがあった。
「野口健さんとも山に一緒に行ったことがある弟だったんだよ。」
急に記憶が掘り起こされた。
私が野口を初めて見たのは、高校の時に、テレビの中でだった(『連載第3話 テレビの中の無名時代の野口健』に、その時のことを書いた)。
確か、あの時野口はネパールでの日本人の遭難のことを話していた。
いや、違う。野口は日本人ではなく、そこに同行していたネパール人のことを話していた。その雪崩遭難で亡くなったネパール人こそが、目の前にいるフロバキタの弟だったのだ―—。
彼は続けた。
「あの時以来、山には行ってなかったけどな。今回は、野口さんがどうしてもって言うからやることにしたんだ。出発の日になっても、やる気にならずに、ルクラでは酒を飲んでいたんだ……」
焚火にくべられた木が、パチンと音を立てた。
「でも、やっぱり来てよかったよ。明日は三人で登ろう!」
翌朝、朝焼けの中を三人で出発。
眼下には雲海が広がっていた。
「あの雲は、じきに上がってくるぞ! 急げ!!」
フロバキタはそう言って、先頭でロープを引っ張り勢いよく登っていく。そのロープに引かれるように私が後に続く。ガラテンバは私のすぐ後をぴったりとついて来た。
「早くしないと雲に巻き込まれるぞ!」
フロバキタは全く休ませてくれない。
私は、肩で息をしていた。それまで山で、そんなに息が切れたことは一度もなかった。
最後のドーム状の雪壁の基部まで登りつめると、フロバキタは、
「ロープを固定してくるからここで待ってろ!」
と言い残して、その雪の急斜面を登って行った。
振り向くと雲海の上にヒマラヤの高峰が、まるで大海原を行く軍艦のように、いくつも浮かんでいた。
その時は山名を知らなかったが、マカル-、チャムラン、キャシャールという、未踏の大岩壁を持つ山々を私は見ていたのだった。
フロバキタが戻ってくると、私はそのロープを頼りに山頂を目指した。雪面に固定されたロープの末端が、山頂の一角だった。
標高6461m。
日本では想像すらできなかった高山に登ってしまった。
私のすぐ後をトレッキングシューズだけで登ってきたガラテンバは、まだまだ元気いっぱいで、
「オーー」
と、叫びながら手を上げて喜んだ。
最後に、フロバキタが登ってきて、
「サミット!!」
と大声で言った。そしてポケットからネパールの国旗をとり出して、大きくかざした。
村で会った時とは、まるで別人のたくましい男の顔だった。
彼が差し出してくれた右手を握る。
「大石さん、あなたはまだ18歳だ。これがゴールじゃない。スタートだよ!」
フロバキタはそう言いながら、強く手を握り返してきた。
そうだ。
きっと、そうだ!
今、そしてこの山頂から、新しい自分の歴史がはじまるのだ! と、私は強く思った。
ピッケルもアイゼンもなしに6000m峰サミッターとなったガラテンバが言った。
「私にとっても新たなスタートだ!」
新しいスタートの記念にそこでポーズを決めようと、私は最後の力を振りしぼり、逆立ちをした。
バランスを保てずにすぐにひっくり返り、雪上に大の字に寝転ぶと、深いヒマラヤン・ブルーの空が目の前に広がっていた。
本当に、そこから何かがはじまる予感しかしなかった―—。
18歳だった私は、2024年の今、44歳になり、この文章を書いている。
あの時のフロバキタとガラテンバの歳は、遠の昔に越えてしまった。
結局、あれ以来、私はネパールの山の山頂を踏むことはなかった。だが、登山はずっと続けていた。
野口は、有名な登山家になり、この数年は自然災害の救援活動も行っていた。今年は年始から能登半島地震の現場に登山用の寝袋を届け続けていた。
その活動も少し落ち着いたこの夏、26年前にターナ村で起きた「湖の決壊」が、エベレスト街道のターメ村で起こった。
すぐに、野口は現地入りし、Xやinstagramに現状をあげているが、被害はターナ村よりはるかに大きなものだった。洪水の振動により、直接被害を受けなかった場所も、大地の地盤沈下やひび割れが起こっているという。野口はその光景を前に、ほとんど何もすることができないでいるようだ。
そんな中だが、私は今秋、実に26年ぶりにネパールの山に向かう予定にしている。
目指すは、インド国境に近いネパール東端に聳えるパンドラ(6850m)。
メラピークとほぼ同じ標高の山だ。
だがもちろん、18歳の時を回顧する旅ではない。
フロバキタに登らせてもらったメラピークとは違い、今回は自分たちの力で登る。ルートもアルパインクライミング技術を駆使しなくては登れない岩と氷のミックス壁にとる。
登攀メンバーは、同年齢の鈴木啓紀と30代の高柳傑。三人での登攀だ。
あの日、メラピークを登ったことで一つの「扉」が開かれ、その後、私は多くの人々と出会うことができた。
その一人が、女性登山家の谷口けいさんだった。
9年前、2015年の12月、43歳で北海道の黒岳で遭難しまった彼女が、その直前に挑戦していたのがパンドラだった。
私は、彼女の生きた記録を残そうと『太陽のかけら』という彼女の評伝を書いた。
それを書き終える前から、文字で追うだけでなく、実体験としてもパンドラに登りたいと思っていた。
私は彼女の持っていたポジティブな精神や、前に進み続ける行動力を、彼女の登攀を追体験することで、直截的に自分の中に取り込みたいと思っていたのだ。
パンドラに向け、準備も大詰めを迎えていたが、この夏の悲劇はターメ村の洪水だけではなかった。中島健郎と平出和也がカラコルムのK2での遭難してしまったのだ。平出とは20歳のころからの長い付き合いで、衝撃は大きかった。
ふたりの遭難直後、一般のニュースでもそれは報じられた。それを聞いた人には「あんな遭難があった後に本当に行くのか?」と心配されたが、私の心は「行くな」とは言っていなかった。
むしろ壁のイメージは鮮明さを増し、具体的な登り方もよりはっきりとシュミレーションできるようになっている。
平出と健郎には、私たちのパンドラでの登りを見守ってほしい。
そして、けいの登れなかった壁を登りきることで、私はまた新たな「スタート」を切ってみたい。
メラピークから積み重ねた経験を駆使し、パンドラの山頂に辿り着けば、そこにはまたあのヒマラヤンブルーの空が広がっているに違いない。
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