毎日読書メモ(211)「雪わたり」(宮沢賢治)
寒い。
週に1回くらい出勤しているのだが、朝はただの曇天。雪の予報が出ているのは知っていたが、11時ころ外を見たときは降っておらず、油断していたら、正午前から降り出した。雪よりも、オフィスの寒さが辛く(手がかじかむのだもの)、まだお正月あけのオフィスの寒さが続いているのだろうか、と、同じチームの人にSlackでこぼしたら、雪だから、と言われ、外を見たら既に盛大に降っていた。お節料理の最終処分でお弁当を作ってきたのだが、正解だった。外に出ずに済む…。
そして、たまの出勤だと色々片付かず、上司に早く帰っていいよ、と言われていたのに定時になってしまったら、電車が思いっきり遅延しとる…他社振替までするレベルだが、止まってないからまぁいいか、と思って乗っていたら、いつもの1.5倍以上時間がかかり(ぎゅう詰めではないが座れなかった)、乗り換え駅でいつになっても接続電車は来ない。ようやく最寄り駅に着いて、今日くらいバスに乗ろう、と思ったらバスも臨時運休で、すごすごと雪を踏みしめ歩いて帰る。電車の中で温まっていた眼鏡がざーっと曇り、視界悪く、はずすと一気に近視眼になり、いずれにせよ怖い。
家の前の雪が深かったので、凍結しないうちに雪かきしよう、と、家に入る前に人が通れる幅くらいだけ、雪をかいてみた。明日は家から出ないぞ(たぶん)。
と冷え冷えしてきたので、青空文庫で宮沢賢治の「雪渡り」(字面の記憶は「雪わたり」だったが、渡り、も漢字らしい)を読む。新潮文庫だと『注文の多い料理店』所収。読んでるとますます寒くなる情景だが、心はほかほかと温かくなる。
オノマトペ乱発の小説。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」と言いながら、四郎とかん子は「小さな雪沓をはいてキックキックキック、野原に出ました」。
そして、「「凍み雪しんしん、堅雪かんかん。」と云いながら、キシリキシリ雪をふんで白い狐の子が出て来ました」。
「狐は可笑しそうに口を曲げて、キックキックトントンキックキックトントンと足ぶみをはじめてしっぽと頭を振ってしばらく考えていましたが」とか、「赤い封蝋細工のほおの木の芽が、風に吹ふかれてピッカリピッカリと光り」とか、不思議な響きが、幻想的な光景を更にきらめかせる。
狐は人をだましたりしない、狐にだまされた、化かされたと言っているのは、酔っ払いや臆病者だけです、と狐の紺三郎は言う。紺三郎がくれた幻燈会の切符を持って、次の雪野原が凍った月夜に四郎とかん子は狐の幻燈会に行き、狐が作った黍団子を美味しくいただく。
宮沢賢治を読んでいると、人間とそうでないものがすごく近い場所にいて、共生しているように感じることが多い。その距離感が、いつまでもわたしたちを惹きつけてやまないのだろうか、と思ったりする。