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ジャム・セッション 石橋財団コレクション×森村泰昌 M式「海の幸」ー森村泰昌 ワタシガタリの神話(アーティゾン美術館)
2021年10月2日~2022年1月10日、東京京橋のアーティゾン美術館で開催されている「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×森村泰昌 M式「海の幸」ー森村泰昌 ワタシガタリの神話」展を見てきた。日時指定予約制だが、そんなに混んでいなかったので、直前でも予約は可能ではないかと思われる。
昔、絵画の中に入り込んだ森村泰昌の作品がてんこもりになった展覧会を見たな、と思って調べてみたら、20世紀のことだった。
森村泰昌展 [空想美術館] 絵画になった私(1998年4月25日~6月7日、東京都現代美術館)。セザンヌの静物画の果物ひとつひとつとか、ゴッホのひまわりの花の中央とかに森村泰昌の顔。マネの「笛を吹く少年」やゴッホの自画像も森村の顔。森村泰昌の個展を見るのはそれ以来だが、今回は、アーティゾン美術館収蔵品の中でも殊更に有名な、青木繁「海の幸」の換骨奪胎。10人のフルチンの男たちが銛を背負い、捕まえたサメをしょって、画面の右から左へと行進しているこの1904年の絵が、森村によって、10枚のVariationenになる。
「序章 『私』を見つめる」は青木の自画像と肖像写真から、青木になりきる森村の作品をあわせて展示。
「第1章 『海の幸』鑑賞」は青木の作品が8点。壁に森村が書いたらしい詩が書かれている。「海の幸」だけでなく「わだつみのいろこの宮」も展示(ちなみに両方とも重要文化財)。
「第2章 『海の幸』研究」で、森村が、10点の作品を創造するための試行錯誤が展示される。最初にジオラマが10点置いてあり、軍艦とか、太陽の塔とか、日の沈む海岸とか、これは一体なんだろう、と頭をひねる。もう少し進むと、そのジオラマを背景とした、様々な衣装の森村のスケッチのようなものが大量に展示されている。そして、森村が着た衣装の一部も展示。コロナ下の製作だったので、自分一人で着替え、化粧して撮影も自分一人でして、それを組み合わせて作品にしていったらしい(衣装自体は他の人が製作したものだが)撮影シーンも「『ワタシ』が『わたし』を監視する」というヴィデオ・インスタレーションとして展示されていた。ものすごいエネルギー。
そして次の部屋「第3章 M式『海の幸』変装曲」で、丸い部屋にぐるっとVariationenが展示されている。「第1番:假象の創造」(青木繫の絵のパロディ)「第2番:それから」「第3番:パノラマ島綺譚」「第4番:暗い絵」(これは藤田嗣治の「アッツ島玉砕」のパロディなのかな)「第5番:復活の日1」(東京オリンピック入場行進的)「第6番:われらの時代」(学生運動? かたちは「海の幸」に一番似ている)「第7番:復活の日2」(太陽の塔とパビリオンのアテンダントの制服の森村泰昌)「第8番:モードの迷宮」(ガングロギャルやメイド服の森村泰昌が印象的)「第9番:たそがれに還る」「第10番:豊穣の海」。
森村は一人で88役を演じたらしい。
「第4章 ワタシガタリの神話」は18分にわたる映像作品。青木繁に扮した森村が何も描かれてないキャンバスの前で、関西弁で青木繁に語り掛け続ける。この音声がすごく大きくて、展示室にもダダ洩れにしてあったので、この部屋(展示を見てから入ることを推奨されている)に入ると大きな既視感。
「終章」は、森村の「女の顔」という小さい作品が4点。
最初から最後まで、これでもかこれでもか、という森村泰昌のエネルギーにやられにいく、そんな展覧会だった。コロナ禍の元でも、人はこれだけ出来るんだ、ということをみせていただき感服。
美術館6階が森村泰昌展、4階と5階は石橋財団コレクション選「画家たちの友情物語」(わりと淡白な展示だったが、漫画による人物相関図を配布していて面白かった)(展覧会サイトから人物相関図も見られる)、「特集コーナー展示 挿絵本にみる20世紀フランスとワイン」(これがわたし的には大ヒット、デュフィの絵はどれも素敵だったし、初めて見たモーリス・ブリアンションのリトグラフもすごくよかった)、その他、テーマ外の常設展示作品も安定の面白さだった。