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三菱一号館美術館・再開館記念「不在 トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」
昨年春から設備メンテナンスのために長期休館していた、東京・丸の内の三菱一号館美術館が、再開館記念で「不在 トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」展を開催中。2024/11/23-2025/1/26
不在とはなんぞや?、というのは美術館のウェブサイトのあいさつ文を読んでもらうのが一番わかりやすそう。ちょっと長いけど。
美術館は、時代の変化に応じて、常にその活動を見直す必要があります。そのために、時代を映す鋭敏なアーティストの感性を借りることが、ひとつの最善策であると考え、2020年の開館10周年記念展として企画された「1894 Visions ルドン、ロートレック」の開催に際し、現代フランスを代表するアーティストのソフィ・カル(1953- )氏を招聘する予定でした。しかし、世界的な新型コロナウイルス感染症の流行により、ソフィ・カル氏は来日を見送らざるをえず、現代アーティストとの協働というプロジェクトは再開館後に持ち越されることになりました。
リニューアル・オープン最初の展覧会となる「再開館記念『不在』―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」では、当館のコレクションそして展覧会活動の核をなすアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)の作品を改めて展示し、そこにソフィ・カル氏を招聘し協働することで、当館の美術館活動に新たな視点を取り込み、今後の発展に繋げていくことを目指します。
ソフィ・カル氏は長年にわたり、「喪失」や「不在」について考察を巡らせていることから、今回の協働にあたり、「不在」という主題を提案されました。一方、トゥールーズ=ロートレックは、「不在」と表裏一体の関係にある「存在」について興味深い言葉を残しています。
「人間だけが存在する。風景は添え物に過ぎないし、それ以上のものではない。」
1897年の旅行中、アンボワーズの風景に感動していた同行者に対して発せられたこの言葉に象徴されるように、トゥールーズ=ロートレックは、生涯にわたって人間を凝視し、その心理にまで踏み込んで、「存在」それ自体に迫る作品を描き続けました。
トゥールーズ=ロートレックも彼が描いた人々も「不在」となり、今ではその作品のみが「存在」しています。ソフィ・カル氏から投げかけられた「不在」という主題を通して、私たちは改めて、当事者が関わることができない展覧会や美術館活動の「存在」について考えていきたいと思います。
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ロートレックは久々、ソフィ・カルは名前を聞くのすら今回初めて。
美術館に入ってエレベーターで3階に上がり、3階はロートレック、2回がソフィ・カルの展示。それぞれ、1室ずつだけ撮影可能の部屋を設け、あとは携帯しまって静かに鑑賞。
ロートレックの「不在」は、画家の不在(亡くなっているので当然)、モデルとなった人たちの不在(これも当然)、なのに、作品となって、画家の存在感と描かれた人々の姿が存在し続ける...という、ややこじつけ気味なコンセプト。
ロートレックは、モデルとなった人たちの険しい表情が怖くてちょっと苦手で、あまり積極的に見ないのだが、館蔵の作品に、借りてきた作品も加え、120点以上のロートレック作品を一気に見ると、描線の美しさにはっとする。多色刷りの版画を色の層を1つずつ載せていった版を全部紹介しているコーナーなどあり、様々な色が使われた作品の下にも確実なデッサン線があることを実感する。
ジュール・ルナール『博物誌』に付けた、鳥や動物などの版画が実に美しい。これ、本でほしいな、と思う。
撮影OKの部屋での作品をいくつか。
トップ画像は「シンプソンのチェーン」1896年。
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相変わらず顔こわいよ、と思う絵が多いけれど、描線の美しさに再注目し、1枚1枚面白く眺めた。
そして3階の最後の部屋でまずソフィ・カルの映像作品「海を見る」。イスタンブールの海岸で、初めて海を見た人たちの、その瞬間を撮影した画像が並べられている。海のごく近くに住んでいる筈なのに、長じるまで海を見たことがなかったというところに貧困層の行動圏の狭さを感じさせる作品。
それから階段を下りて、ソフィ・カルの作品展示続く。最初の部屋がテーマ「自伝」で撮影OK、両親とのかかわり、そして死を、写真と、キャプションパネルで表現。キャプションがフランス語でぱっと理解できないのがもどかしい。
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その後の部屋は、館所蔵のオディロン・ルドン「グラン・ブーケ」の絵をテーマに、収蔵されていながら、滅多に来客者の前に姿をあらわさない「不在」を、絵を文字を重ね合わせ、時々灯りがつくようにルドンの絵の画像が現れる不思議なパネルで表現している。
建築家、フランク・ゲーリーが、彼女の個展の際に送った花束の写真を並べた「フランク・ゲーリーの花束の思い出」も同じ部屋に配置され、華やかな部屋。
「あなたには何が見えますか?」の部屋は、ボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館で1990年にレンブラント2点とフェルメールとフリンクの絵が盗難に遭った際(その後絵は戻っているが)、現場に額縁だけが残されていて、その額縁を組み立てなおし、もともとの展示スペースに額縁だけを展示した様子(ものすごい不在!)の写真、そしてそれを見た人がどう感じたかをアンケート結果のように隣のパネルにわーっと記載した様子(またフランス語だが、部屋に翻訳のシートが置いてあり、それを読みながら鑑賞できた)で構成。壁紙(重厚な織物)を見ている人もあれば、本来そこにあるべきだった絵画を脳内で再生してみている人もあれば、額縁を鑑賞している人もある。面白い。
「監禁されたピカソ」は、2023年、パリのピカソ美術館で、ソフィ・カルが構想した「ピカソ不在」の展覧会の様子。ピカソの絵の上から布や蝋紙で絵を覆い、そこにピカソの絵のタイトルだけが添えられている。閉じ込められたピカソ。
「なぜなら」Parce Queの部屋は、Parce queで始まる文章が、フェルトにミシン刺繍で書かれ(ちょっと青山悟を思い出す)そのフェルトをめくると、その下に、そこに書かれた文章にちなんだ写真パネルが展示されている、ちょっと双方向性を感じさせる作品。この隣の小部屋に、ソフィ・カル自身がモデルになった写真(サテン生地みたいなものに包まれ、寝台の上に横になっている)が展示され、初めて生きている作家として三菱一号館での展示に招へいされたのに、新型コロナでそれがかなわず、数年後の開催を約されたが、それまでに自分は死んでしまうんじゃないか、という不在への不安を抱いた心境がキャプションとして付いている。
ソフィ・カルの部はまさに「不在」への様々なアプローチとなっていて、存在でなく不在が、芸術作品のテーマとなる面白みを強く感じた。
せっかくなので、フランス語のキャプションをもっとじっくり読むべきだったというのが後悔。
最後、1階の小さなスペースで「坂本繁二郎とフランス」という展示をしていて、アーティゾン美術館と国立近代美術館以外では久々に坂本繁二郎を色々見られて大満足。コローやセザンヌ、藤島武二など、館所蔵作品も坂本に与えた影響、をテーマに展示されていて、一番最後に同世代で影響を与えあったように思われるジョルジョ・モランディの作品が展示されていて、モランディ好きなので、最後、好印象で美術館を出られて超幸せであった。
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