人間の「人生終了」は何処だ?
亀戸のお弁当屋さんに酔っぱらった男が乱入。店員に暴言を吐き、小銭を投げつけるという「傷害」を起こした。
一部始終は録画されており、お弁当屋の代表は「断じて許さない」と毅然とした態度。後日、暴れた男は情けないことに「菓子折り」を持参し「許していただけますか」という自己本位の謝罪に訪れたが、当然「許されず」逮捕。
ネットでは、この一連の事件で暴れた男の顔がモロに写っていることで「人生終了」という言葉が飛び交った。
しかし駿河倫太郎は、この男の人生が終わったとは思えない。
暴れた男はサラリーマン風なのであるが、この男、既に一度「人生を終了させている」。つまりサラリーマン等の表社会の人間ではない。「飲食業」と言っているところから、夜のお店が連想される。
そう。サラリーマンなら「解雇」という一度終わる事態が起きていただろうが、終わらないのだ。それどころか、かえって箔が付いたかもしれない。
じゃあ、こういう人間はどこで終わるのか。それは刑務所に閉じ込めたり、死んでもらったりしないと終わらないのだ。