ソウラー


 東京を思わせる街の中の、緑溢れる広い公園。その片隅に、公衆トイレほどの大きさの、複数人で入ることのできる男女共同のシャワー室がある。私は暖かな日差しの中でその順番待ちのベンチに座っている。唐突に二人の女性が現れる。右からは、金色の髪を後ろで一つに結び、女社長を思わせる力強い雰囲気を纏った女性が、自信に満ち溢れた様子で歩いてくる。左からは、驚くほど高身長な、神聖さをも感じさせる黒髪の女性が、こちらも優雅な自信を纏いながら歩いてくる。二人とも一糸纏わぬ姿で、自らをお互いに見せつけ合うようにしてシャワー室に入っていく。
  私は彫刻のように美しい二人の姿を思い返しながら、立ち並ぶ団地の駐車場に薄く積もった雪を踏み締める。一月にしては少し暖かさを感じる夕暮れに、ふわふわと細かな雪が降っている。どこからかワイワイと盛り上がる声が聞こえ、声のする方へ行ってみると、駐車場の一角の広場に何やら人だかりができていた。近づいてみると、集まっていたのは障がいを持った子どもたちだった。車椅子に乗った子やダウン症らしき子が、広場の真ん中で大きなダルマを順番に投げ上げている。投げ上げたダルマは雪の上に落ちて転がり、稀にダルマが立った状態で静止すると、拍手喝采が起こった。
  私がその様子を見ていると、浴衣を着た二人の女の子がこちらへ歩いてきた。双子だろうか。見た目は高校生くらいで、二人とも綺麗なブロンドヘアに青い瞳をしている。それぞれ桃色と水色の浴衣を着ており、どちらも金の花柄の入った美しい浴衣だった。足元を見ると裸足に下駄を履いていて、五本の指に加えて、まるで鳥の足のように踵側にも指が生えていた。桃色の浴衣の子は踵に一本、水色の子は五本。爪の形は全て鋭く整えられており、緑色のネイルが入っている。二人は言葉を発さなかったが、目を合わせると不思議と言いたいことが伝わってきた。一緒に広場の奥に行こう、と誘ってくれているようだ。歩き出す二人について行くと、広場の奥に屋台があった。店主のおじさんが刃物を持って立っている。刃物は日本刀に似ているがその刃は真っ直ぐで、日本刀よりも短い。
  屋台にはアザラシが一匹丸ごと横たわっていた。おじさんはその腹に躊躇いなく刀身を突き刺し、切り開き始める。アザラシを開き終えると、おじさんは着ていたシャツを脱ぎ捨てて裸になり、刀を自らの腹に深々と突き刺した。野太い叫び声。刺さった刀を動かし腹をくり抜いていく。腹が開かれると、大量の血液とともに臓物が地面にこぼれ落ちた。雄叫びをあげ、なぜかおじさんは倒れることもなく腹から刀身を抜くと、今度は勢いよく胸を突き刺す。激しい痛みは感じているのか、顔を真っ赤にしながら胸骨を縦に力いっぱい切ろうとしている。血飛沫が上がる。  私は困惑して二人の方を見る。目が合う。気合いを入れれば倒れることなく自らを開けるんだよ、という言葉が頭に入ってくる。  おじさんが何か言いたげな顔で血に濡れた刀をこちらに差し出している。私が受け取ると、おじさんはこちらに背を向けた。私に切って欲しいということだろうか。私は柄を強く握り締め、思い切りその刃を自分の腹に突き刺した。体験した事の無い激痛に、一瞬にして意識が遠のいていった。
  白い部屋のベッドの上。痛みはない。腹に手をやると、傷口は綺麗に縫合されている。白衣を着た二人の男に連れられ、多くの人で席が埋め尽くされた広い講堂のような一室に入る。空いている席に私が座ると、部屋にアナウンスが響き渡った。「ソウラー」。インターネットで配信されている番組であり、今世界で最も人気のあるコンテンツである。一般人の中から無作為に選ばれた十人の参加者が、一つの部屋に閉じ込められる。部屋から出ることができるのはそのうちの一人だけ。参加者はその閉鎖空間の中で、最後の一人になるまで殺し合わなければならない。殺し合う中で参加者の生い立ちが語られたり、参加者同士の恋愛模様があったりと、まるで映画のような人間ドラマが描かれる。「ソウラー」に参加するかは任意であり、参加者に選ばれたとしても辞退することができるのだが、参加を希望する者が後を絶たなかった。全国民のうちのたったの十人しか出られない、世界で最も有名な番組。実際に殺し合っているのにもかかわらず、国民はこの番組を神格化し、絶対に魅せる演技をするので出場したい、と意気込む者で溢れていた。 
 アナウンスが終わり、一人に一枚ずつ書類が配られる。この中に天文学的な確率で「ソウラー」への参加権が記されている。配布された書類に目を通した私は、息が止まった。 
 参加意思の確認のため、全国民から選ばれた十人が一つの部屋に集められる。性別も年齢もバラバラだが、その中でもなぜかこの人は主人公やヒロインになるだろう、と感じさせる者たちがいた。自分と彼等との間にはどうしようもできない壁があり、私は参加しても脇役になるという確信がそこにはあった。命を落とすと分かっていて参加したい筈がないのだが、ほとんどの人間が一生味わうことができないであろう希少な経験を、私は命と天秤にかけても選ぶ決心をつけようとしていた。
  響く怒号。地下牢。湿った土の味。鉄を叩く。振り返る。人格とは生み出されるものなのさ。空気中に人格は充ちている。人工精霊、タルパはそれを認識する技だ。認識しようと強く思えば感じることができる。会話したり、姿を見ることもできる。個人にとどまらず、国家も、地球という星も、この時空間も人格なのだよ。大きな人格は、個人の無意識に等しく影響を与えている。強い人格を作り、より多くの人格がそれを観測すれば、その人格に世界のほうを寄せることができる。  世はまさに人格戦争時代。

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