映画『TENET』の真意
時間とは、自分が「今」というものを認識し続け、過去だと認識する記憶との間に因果関係を感じることだ。
『TENET』では、時間とはそもそもどういう仕組みでできているのか、「今」というものがどのように生まれるのかという過程を表しているように感じた。
逆行した時間で「銃弾を落とそう」と感じると、落ちていた銃弾が手に吸い込まれるシーンがある。
これに関する考察において、「結果を見た後に原因を起こすことを避けられないのか?自由意志は存在しないのか?」という問題が提起されている。
これは一般的な、過去が原因で結果として未来が作られる、という時間像を持つ人にとって当然の疑問だと思う。
つまり、過去の因果によって未来が作られるという時間像だ。
これは仮説だが、この映画の時間像はそのようなものではないのではないかと思う。
未来を「今」として認識した瞬間に、自分の意識が確定した今と過去との間に因果関係を感じる、その過程が時間の逆行であるとすればどうだろうか。
意識によって作り出される過去との因果関係を映像化したようなものが時間の逆行であるならば、結果が確定してからその結果を変えようと考えうる経過時間は実質的には存在しない。
例えば、小説を初めから読んでいく場合、後の展開は無限に想像できる。無限の展開が想像できるということは、因果が不確定であるということだ。
しかし、読み進めていくと展開が読み手にとって確定されていき、それと同時に前の場面と関連させた意味付けが頭の中で行われる。時間を感じることは因果関係を認識するということだが、先の展開が先行した後に因果関係が認識されるのだ。
我々は今この瞬間も、特定の過去との因果を意識を通して結びつけることで、時間と同時に「自分」という意識を作り上げている。
自分が認識する過去や自分自身はある程度確定されているため、その中では自由意志は無いとも言えるかもしれない。
しかし、順行する時間の意識では本来、未来は存在せず、不確定で、可能性に溢れているのではないだろうか。一方で、未来から逆行してくる者たちは、あくまでその人と因果が結ばれた過去の中でしか行動できない。
過去や自分自身の拘束力、他者の知識や常識といったものに操られることのない自由意志、それこそが「無知は武器」の真意であり、誰もが未来を好きなように創れる、ということなのではないかと思う。