インターネットは免許制にするべきか
インターネットが生活に必須なインフラになって久しい。
最早インターネットがない生活など考えられない人が大多数だろう。
かく言う私も起きている時間のほとんどをインターネットに触れて暮らしている。
商店や行政サービスもオンライン化が進んでおり、その是非は別としてこれからますます生活に密着したものになっていくであろう。
しかし便利な反面、インターネットはその利便性で善意に見せかけた悪意や勘違いも容易に拡散できてしまう。
これにより、昨今ではインターネットによる被害に遭う人も増えてきた。
明確な犯罪行為への利用とは別として、正義感(多分に独善的な)からのバッシングや善意のデマの拡散等、いわゆる普通の人が加害者になる事態が増えてきている。
公共正義を免罪符に他者を批判してストレス解消する者もいるし、見知らぬ人へ気軽に発言できるようになったことから本人には悪気はなくても非難中傷と受け取られる発言をしてしまう者もいる。
そこで思うのだが、いっそのことインターネットを免許制にしてはどうか。
例えば、同じインフラでいうと、交通インフラの要である自動車は免許制をとっている。
聞くところによると、私の祖父(明治生まれ、故人)が若かった頃は、車を買うと免許証と車の取扱説明書がついてきたそうである。
しかし車が増えると交通事故が増えてきて、一定のルールを共有しないと安全に利用できないようになってきた。
そこで免許制が実施されるようになったのだ。
思うに、インターネットもこれと似たようなものではないだろうか。
最初は人数も少ないので衝突も起きにくいし、生活必需品でもないので、ある程度それに詳しい人どうしで交信する。
しかし、その利便性でインフラとして一般化すると、言い方は悪いが何も考えない不特定多数の人が不用意に使用するようになるのだ。
この様に利用者が増えて問題が発生し始めた以上は、やはり一定のルールを共有しないと問題は起き続けると思う。
もちろん言論の自由は守られるべきだが、かと言ってどんな言論でも無軌道に垂れ流して良いというわけではない。
それは通行の自由が保証されつつ、速度制限がある交通ルールと同じようなものである。
さて、具体的にはどうするかの話だが、義務教育である小学生からネットリテラシーについての講習を受けさせ、テストを設けるのはどうだろうか。
合格者はインターネット免許証を手に入れ、それを使ってインターネットにアクセスできるようになるという具合である。
講習とテストは毎年行って、段階を経て見られるウェブサイトの階層が開放されていくようにすれば、アダルトコンテンツや暴力性のあるコンテンツやSNSのレーティングもしやすくなるだろう。
そして自動車免許証と同じ様に違反者には点数を累積していって、一定数に達すると免停や免取りになる。
違反者が成人になら罰金も貸して然るべきだろう。
こういった形で皆が共通のルールに則ってインターネットを利用すれば、危険は随分と減ると思うのだが。
皆さんはどう思うだろうか。