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東工大修士卒、就活をしないでいきなりフリーランスになった話。

2022年3月大学院を修了した。
2022年4月フリーランスになった。

僕は東京工業大学(現:東京科学大学)大学院を修了したあと、フリーランスになった。それも知らぬ土地で。

時系列で、その時の事情や心境を書く。

修士1年:就活を意識する。

このころは比較的就職というのを視野に入れていた。建築の中でもとりわけ都市に関心があった自分はディベロッパーや広告(地域ブランディングなどができるから)をみていて、サマーインターン にも積極的に参加していた。また、大学のネームバリューが高いということもあり(ロンダ組なので他人事のようにいうが)、説明会に参加するだけでお小遣いを貰えたりすることもあり、割といろんな企業をみた。しかし、学生の本業である研究がうまくいってなかったのである。どのくらいか?僕は1年学生期間を延長することにした。親にはほんとに申し訳ないと今でも思う。大学院ってなに?って言われながら入学し、その何かわからない大学院期間を延長すると言ったのだから。

修士2年:就活をしないと決める。

周りが就活を本格的に始める。そしてどんどん決まっていく。大手ディベロッパー、外資コンサル、大手メーカー、みんな天才か?と思うほど将来を約束していく。僕はこのとき本気で考えた。ほんとにやりたいことは何か。自問自答した。(そのときの結論とも言える内容は別のnoteで書いてるので併せて読んで欲しい。)僕は就活をしないと決めた。僕がやりたいことは就職してもできないと思った。そしてコロナ禍にはいる。大学にいけなくなった。僕はもっと考えた。本屋に行き、片っ端から本を読んだ。普段は絶対読まないビジネス本や自己啓発の本まで。そこには人の後悔が書いてあった。就活をしないという僕の選択は間違えてなさそうだなと思った。

修士3年:フリーランスの道を進む。

修論を進めていく。修了(学部でいう卒業)が見えてくる。同時に進路の舵を取らないといけない。まずは選択肢を増やすために、自分で稼いでみようと思った。グラフィックデザインの仕事を始めた。理由は3つ。
・単価の低い仕事であるが、建築設計など将来グロスで仕事をとれると思った。
・張り紙やサインなど都市の表層にあらわれる最小単位だと思った。
・大学生のころ、ロゴのコンペを100個くらい出した経験がある(全部落ちている。)
最初の仕事はロゴデザイン、単価はわずか3,000円である。大学院を修了するころには、月10万円以上稼げるようになった。当時はクラウドソーシングで仕事をとっていたので、お金と同時に場所の自由を得たのだ。

社会人1-2年目:見知らぬ地でたくさん働く。

大学院修了後、京都に移った。中学生の頃に万城目学の本をよく読んだ。「鴨川ホルモー」に引かれ、いつか鴨川の近くに住むと決めていた。そしてもう一つ、都市計画を学んだものとして、一度は京都に住む必要があると思った。住居は即決した。正確にいうと選択する時間がなかった。伏見稲荷近くのシェアハウスに住んだ。僕の部屋はルームX、1m×4mの窓なし、線路の真横という狂った部屋だ。内見では扉をあけた1秒後に、「ここにします。」と答えた。考えることを放棄したのだ。不動産屋さんからは、「遠藤さんならいけます。」とだけ言われた。もちろん月10万では暮らせないので、週4日建築事務所で働いた。おい、フリーランスじゃないじゃないかと言われたら申し訳ない。謝ります。ただこの時はすでにグラフィックの仕事の方が収入があったので、経済的にはフリーランスと言ってもいいと思う。建築事務所はあくまで勉強の意味合いが強かった。

社会人3年目(現在):法人化にむけて。

現在は建築事務所をやめ、完全に独立している。4年目には法人化したいというところまできた。何をしてるかは別のnoteを参照していただきたい。ただ、いつ売上がなくなるかもしれないという恐怖とたたかう。


最後に

もし就職してたらと考えることがよくある。正直そこそこいい会社に入れた自信がある。でもそれはたらればの話。自分の選択を正解にしたいと思う。実績なし、コネなし、それも知らない土地で1から仕事をしている自分を少しは褒めたい。
 少年と秀才が混在してると言われたことがある。少年のパワーが強い時、夢を語ったり、それこそ就活しなかったりする。秀才のパワーが強い時、現実に考えてしまい、未来に不安を覚えてしまう。ただ、ちゃんと道筋を考えたり、保険をかけたりするのはこの秀才だ。この両者のバランスを今後もうまく保ちたい。

今どんな思いで何をしてるかは下記の記事を見てほしい。


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