3章-(2) 三の割の大異変
1升瓶の水が、こんなに重いものとは!抱えて2時間以上かけて、やっと 三の割のわが家の小橋が見えた時には、ほっとするあまりに、かよは取り 落としそうになった。
ふっと、変だなという気がしたのは、川辺でよく見かける女たちの姿が、 1人も見えないことだった。もう田んぼに出てしまったのだろうか。シカ婆なら、洗濯をしてる頃なのに。
家の庭で、すえがかよを見つけて、飛び上がった。 「とめあんちゃん、ねえちゃんだ!」 とめ吉も台所から飛び出してきた。
「待って、まって!とびついて来んでよ。でぇじな、割れ物があるんじゃ。おいで」 かよは、1升瓶をしっかり抱いて、土間の突き当たりの上がり口に、そっと置いた。
それから、背中の風呂敷包みを、それはていねいにそうっと下ろして、結び目をほどいた。
3つの卵は、割れてはいなかった。茶色の袋入りの揚げせんべいもしっかり形を留めていた。 「わっ、卵だ! これ、米だね。えっ! みそもある!」 と、とめ吉がわめくように言って、喜んだ。
「でも、この水がすっごくありがてぇよ、ねえちゃん。今、川はぜんぜん
使えねぇんじゃ」 「えっ、どうして?」 「ようわからんけど、学校の新しい先生が、川にションベンしたんじゃて。役場から、しばらく川水で茶わんやこ洗いもんはするな、いうて、おらんでまわったで」
かよは驚いて、もっと詳しく聞きたくなったが、とうちゃんは田の掘り返しに、あんちゃんはたぶん開墾地に出ているはずだった。
卵は夕食に5人で食べるよう、大事に戸だなにしまった。米はネズミに入られないよう、1つだけあるブリキの大きな缶に、袋ごと入れた。干し魚は厚い紙袋に二重にして入れて、戸棚にしまった。
2人に揚げ餅を1枚ずつ食べさせ、台所をちらっと見渡した。茶わん洗いは、まだだった。 「ようやっとるな、とめ。ありがとよ。後でうちが、ふとんを干したり、 洗濯したりするけど、ちょっとシカ婆に挨拶してくるわ」 「うちも行く!」 と、すえがすぐに、かよの手にぶら下がった。
かよはもうひと言、とめ吉に言った。 「川で茶わん洗えんのなら、とうちゃんがくんだお水神さまの水で、洗っといてな。この1升瓶の水は、皆に飲んでもらいてぇけん」 「わかった!」と、とめ吉は、すぐに台所の流しへ向かった。
シカ婆の話はこうだった。かよが中島へ行って、4日後に、加須山にある 小学校の新しい若い先生の歓迎会があってな、先生たちで酒飲み会をした。その若い先生は、酔っ払って帰り道の夕暮れ時に、三の割の一番目の橋の上から、川を目がけて小便をしてしもうた。
それをちょうど水くみから戻ってきた、田中の留じいやんが見つけたもんで、大声でどなりつけたんじゃ。その声を聞きつけて、周辺の家に戻っとった母ちゃんたちや、おやじさんたちが、わっと出て来てな。先生をとっつかまえたんじゃ。
その先生は玉島の方の水がいっぺえあるとこから、転勤してこられたけん、ここらの川がどれほど大事なものか、わかっとらんかったんじゃ。駐在さんや校長先生やら、役場の人らも集まって来られて、先生と校長先生が平謝りしてな。なんとか縄はかけられんかったけど、しばらく川の水は使わんとけ、言われて・・。わしゃ、水くみにあのお水神さまの井戸へ、今日も行って来たんじゃ。嫁も行った、息子も行った。水はなんぼでもいるもんなあ。
「しばらく、いうて、いつまでじゃろか」 と、かよは口に出して言ってみた。
「さあのう、役場ん人も、はっきりとは言わなんだ。けぇど、わしゃ、今夜から風呂水は、川の水を使うちゃろうと思うとる。川はゆっくりじゃけど 流れとるし、ションベンやこ、そう汚ねぇもんじゃねぇで。せぇに、先生のションべンは、初めから酒で消毒されとる気がするで」
シカ婆の言葉に、かよはなるほどと思えて、吹き出しそうになった。そんなら、うちも今夜の風呂水を川水にするわ。
シカ婆は中島の様子を聞いて、つるが無事に育ちそうだと安心した顔になった。かよに少しじゃけぇど、と言いながら、花のついた摘まみ菜を、ひと束くれた。
かよはすえと家に帰ると、さっそく仕事を始めた。まずは、おくさまからの紙包みを仏壇に供えて、かあちゃんにお祈りした。それから、布団をすべて干し、3つの部屋を掃除し、菜の花を茹でておき、土間や庭も掃除した。 風呂の水を手桶で40回運び、お水神さまの井戸からも桶に水を入れてくり返し運び、どうちゃんの水担桶を満たしておいた。
なんとかふっくらしたせんべい布団を、敷つめておき、その後、物干し竿に、4人の汚れ物を洗濯して干しておいた。とめ吉にあした乾いたら、取りこんでよ、と頼んでおいた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?