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3章-(4) スイカの植え地

台所では、板の間で、おトラさんがつるに乳を飲ませているところだった。「よう飲むでぇ。じきに赤ん坊らしう、丸々プクプク太ってくらぁ」

おトラさんの言葉通り、この1週間だけでも、目に見えて、ふっくらして  きている。かよはそっとのぞきこんで、目を閉じて飲んでいるつるを見届けて、しばらくは台所仕事を手伝うことにする。

かよのユキヤナギを見ると、おキヌさんがすぐに、戸棚から細長い花瓶を  持ってきてくれた。

「どこに置きます?」と、かよが伺うと、おキヌさんはいっしゅん考えて、こう言った。
「・・かわやの棚がええかも・・」

かよにも、なんとなくわかった。玄関やお座敷のあちこちにお花は飾って  あるが、ユキヤナギは、あまりにひっそりしていて、場違いに見えた。

かわやの棚に置くと、かよにもここが一番ふさわしい場に思えた。北側に  ある少し暗い空間に、爽やかな彩りを添えて、目を楽しませてくれる。

おキヌさんは、おくさまたちの朝食用に、和え物を作ったり、魚を焼いたり、いい匂いを立てている。

かよはおシズさんを手伝って、毎朝の各部屋の掃除と、廊下や桟の拭き掃除にかかった。

おトラさんは、乳を飲み終えたつるを抱えて、おくさまの部屋へ連れて行った。おくさまは7時過ぎに起き出すまで、しばらくおつるの添い寝を楽しまれるのだ。

戻って来るとおトラさんは、お茶を飲み、水もがぶ飲みして、こう言った。「あばれの作造はんは、スイカの苗をあっちゃこっちゃ、全部植えてしもうたそうな。旦那様に反対されとんのに・・。見つかりゃぁ、さわぎになるで、ぜってぇ」

「どこに植えたんじゃろ」と、おシズさんがつぶやいた。

「あん人は頭ええんじゃろな。元はおやじさんの田んぼじゃったとこの、  あぜ道の土手と畦に沿うて、カギ型に植えたそうな。すいかの葉は、かぼ  ちゃの葉みてえに、でっけぇし、よう伸びるけん、田んぼの中まで、広がって広がって、そのうち、田を一枚占領してしまうで。旦那様に買い取られたおやじさんの田んぼを、取り戻した気になりてぇんじゃろか」                  と、おトラさんは、ジャガイモの皮むきを続けながら、そう言って笑った。

かよは旦那様はどうなさるだろう、と気になった。植えたスイカの苗を、 全部抜かせるだろうか。それとも、植えたものはしょうがない、と放って おかれるだろうか?

「おくさまのお膳のご用意じゃ」
と、おシズさんとかよに声をかけて、おキヌさんはお膳を2つ並べた。

そうじは後半分を残して、2人でお膳の用意にかかった。さわらの塩焼き、卵焼き、菜の花の酢味噌和え、香の物、味噌汁、ほんの少し麦の入ったご飯を並べる。

その間に、おキヌさんはおくさまのお召し替えを手伝いに行き、終ると、つるを抱いて、かよを呼びに来る。かよの待ちに待った時だ。

おキヌさんがつるをかよの胸に、抱かせてくれながら言った。      「このネルの抱っこひもは、よう考えたなぁ。生まれたてのつる様は、背中にゃ負ぶわれんけん」                        「となりのばあちゃんが教えてくれて、うちも助かりました。うち、なんも知らんけん」
とかよは、つる様を支えながら、言った。

「そいじゃ、しばらく散歩してこられぇ」                     おキヌさんがネル地の上にかけたねんねこを、そっとたたいて、送り出してくれた。

おキヌさんは、おくさまと旦那様の朝食の世話にまわるのだ。春休み中の宗俊坊ちゃまは、まだ眠っておられる。

かよはつると、やっとふたりきりの時を迎えて、わくわくしながら、台所口から庭を通り、門の外へ向かう。

門を通り抜けようとした時、門の脇の窓がかすかに動いた気がした。2寸 ほどの隙間が、わずかにせばまった。かよが見ると、動きが止まった。隙間に黒っぽいかすり柄が見え、上へたどると目がひとつかよを見つめている。最初に来た日に見た、あの目だ。

ドキッとかよの胸が鳴った。その片目が、何かを訴えてでもいるように、強い光を帯びていた。かよが声をかけようとした、そのしゅんかん、ピシャンと窓は閉じた。

だれなのだろう。子どもなのか、いくつくらいなのか。ちらと見えた肌は 白く、目だけが深い色をしていた。男なのか,女なのか、それさえわから ない。                               後で啓一に訊いてみよう。心を残しながら、かよは門の外へ 出て行った。

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