3章-(5) エイのほら話
授業が終って休み時間になると、エイが話し始める。
「あたしのおじさんはね、船の船長なんだよ。あたしもそのうち操縦を 教わることにしてんだ。そいでお金をもうけて、ぜったいクルーザーを買って、世界中乗り回してやるんだ」
きのうは女優になるって言ってたくせに、あれはどうなったの? 今日の話も、思いつきのでたらめなの? みゆきは胸の中で反論しつつ、うつむいたまま耳だけで、いつものように黙って聞いている。
前の席の新井くんが、すぐにひきこまれた。
「すげえ、クルーザーだって! 本気か?」
「本気も本気、あたし、貯金箱にお金をためてるんだ。あっちこっちの港に寄るつもりだからさ、お金がいくらあったって足りないもんね。見て見て、図面だけは描いてみたんだ」
エイの大きな声に、男子も女子もいくつもの頭が、みゆきのすぐ近くに迫ってきた。
みゆきの脇には、黒マジックペンの線描きで、画用紙いっぱいに描かれた 大型ボートの絵が広げてある。
「このハッチをあけて階段をおりたら、ここが寝室、これが物置とタンク、水と燃料のね。これが厨房と食料室。でさ、今、食料は何を積みこんだら いいか考え中なんだ」
新井くんが息をはずませて並べたてた。
「カップラーメンはぜったいだね、レトルトのカレー、それからカロリー メイト・・」
「待って、待って。あたし、メモしなきゃ」
エイがボールペンでボートの脇に書き並べた。ほかの連中も、口ぐちに思いつきを叫んだ。
「かんづめ、ジュース、ポテトチップス・・・」
「米がいるぞ」
「クッキー、キャンディー、それとおせんべもいるんじゃない」
すると、うしろの席から米山君がわざわざ加わって来て、言った。
「菓子ばっかじゃ、パワー不足だよ。つり竿を持ってって、つりだな」
「それいい、ありがと、米山くん。みんな、よくも並べてくれたね、あたしをもっと太らせる気?」
わっと、みんなが笑った。
「米や炊飯器か土鍋もいるね。そうそう、味噌汁大好きなんだ。忘れず入れなきゃ」
「いいかげんにしたら。実現するわけないのに、ほらばっか吹いて」
とがった声がわりこんできた。エイの次に背の高い順子だった。切れ長の 目がつり上がっていて、笑っている時もとげのある表情に見える。エイは 大まじめで答えた。
「ほらじゃないよ。あたしの夢だもん。少女よ! 夢をもて! だもんね。 あたしクルーザーで世界一周してやるの。フランスに寄ったら、順子には 香水を買ってきてあげる。みゆきにもね」
そう言うとエイは画用紙のもう片方のすみに、〈みやげ忘れずに・・順子・みゆき。香水〉と書きとめた。
順子はあきれ顔になって、ふん、と鼻を突きあげ、かたわらの2人と目配せしあった。そこにはいつも順子といっしょにいるめぐみと克子がいた。
「なんだ、香水かぁ、そんなもの買ってくる気か」
新井くんは、夢がさめたみたいな声を出した。
「じゃあ、じゃあ、みやげにほしいもの言ってよ。それも書いとくからさ」
まるでエイの魔力にかかったみたいに、みんなの頭が紙の上に寄り集まると、口ぐちに言いたてた。エイはそれを書き並べている。本気で実現させる気らしい。
だいじょうぶ? あんなことして・・。お金があるわけでもないし、能力があるのかないのか掴めない人なのに、とみゆきはいたたまれない。
みゆきはそっと机の中から本をとりだし、輪の中から身をよじるようにして、その騒ぎをぬけだした。図書室へ行くときは、たいていはひとりだった。米山くんが、そんなみゆきをじっと目で追っているのを、当人は気づいていなかった。
「ばっかみたい。みんなに約束しちゃって」
廊下に出ると、順子の声が聞こえた。めぐみと克子と3人は、階段の下の 手すりの側に寄り集まって、肩をぶつけあって笑っていた。
みゆきはその脇を無表情のまま、音もたてずに階段を上って行った。
下から、またどっと笑う声が聞こえた。こんどはみゆきが笑われているのかも。頭のすみにちらとそんな気が走った。
「お金って、たまんないねぇ。いくらでもいるのにさ。あーあ、何か方法はないかなあ」
帰り道、エイは元気なくため息をついた。
「・・・あんなこと・・・」
かすれ声が思わずみゆきの口から出た。「言う」は口の中で消えてしまったほど、かすかだった。
とたんにエイが、みゆきの真ん前に立ちはだかった。かばんを放り出して、みゆきの両腕をつかんでゆすぶった。
「あんなこと、言いふらすからよ、って言いたいんでしょ。みゆき、初めてあたしに答えてくれたねっ」
エイは顔をくしゃくしゃにしていた。その目は真剣だった。
「何かすごーく辛いことがあったんでしょ、みゆき。いいよ、自然に言えるまでむりに話さなくていい。でも、いつか話してよね。話せば、ぜったい楽になるんだから。そうなってほしいよ」
どうしてわかるのよ、どうして? わたしの言いたいことまで、先まわりして! 胸の中のつぶやきが、ふっとあふれ出ただけなのに。
みゆきはかばんを拾い直しているエイを、そっと見直した。この人、ほんとはとても頭がいいのでは・・。
「あたしだって、夢を見るのも、辛いことを忘れるためなんだ。ものすごくひどい目にあったんだから。あんたと比べっこしてもいいくらい、ひどかったさ。大っきな夢をたくさん思いつけば思いつくほど、忘れていられるもの。だけど、いつだって、お金がねぇ・・」
切実なため息に戻って、エイはそれから吹き飛ばすように笑った。
「でもさ、ほんとにお金があまるほどあったら、夢は夢じゃなくなるよね。いつだって実現できる夢なんて・・」